優しすぎる指導者は結果を出せない
愛情を持って接するというと、ただ優しくあればいいと考えてしまう人がいる。しかし、人を教え導く上で、必要以上に優しくある必要はない。かといって、厳しすぎるのも問題である。厳しさと優しさのバランスが保たれると、教え子との間にほどよい緊張感が生まれる。そう私は考えている。愛情を持つとはどういうことか。教える立場の人間は、日々自問自答しながら答えを見つけていくことが重要である。
「優しい男」というと、私は南海の不動のエースであった杉浦忠を思い出す。杉浦は1959年に38勝4敗で最多勝と最優秀防御率、最多奪三振、リーグMVP(最高殊勲選手)のタイトルを総なめにした、パ・リーグはもとより球界を代表する大投手だ。
杉浦は私の配球ミスで打たれたときにも、文句を言ってくるどころか、私のことをかばってくれる優しい人間だった。チームメイトの間でも優しいジェントルマンとして通っていた。
彼は、1986年に南海の監督に就任したが、当時の南海は戦力不足が否めないチームだった。おまけに、西武が黄金時代を築こうとしていた頃であり、指揮を執った4年の間、優勝はおろか、一度としてAクラスにも入らないままユニホームを脱いだ。素晴らしい実績と比較すると、どうしても指導者としての結果は見劣りしてしまう。彼自身も悔しい思いをしただろう。
私の見立てでは、杉浦が勝てなかった最大の原因は、彼の優しすぎる性格にある。優しい人間が監督になると、選手に対して厳しく当たることができない。煙たがられても「なぜ打たれたのか」「どうして抑えられなかったのか」を繰り返し問い、選手に自ら考えさせることができない。
選手自身は、自ら努力を惜しまなければ成長もできるし、活躍もできる。だが、教える立場に変わったなら、他人である選手たちを努力させるように仕向けなければならない。そのためには、時には耳の痛い忠告をする必要もある。 つまり、ただ優しくするという段階を乗り越えて、選手との間に厳しい言葉をかけても信じてついてきてもらえるような関係をつくることが肝心なのだ。
人の悪口を言う人は信用できる
加えていえば、優しい人よりもっと厄介なのは「いい人」だ。
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