応神天皇の誕生と即位
ホムタ※1(誉田天皇=第十五代応神※おうじん天皇)は、仲哀(ちゅうあい)天皇の第四子で、母は神功(じんぐう)皇后です。
ホムタは、神功皇后が新羅を討った年(仲哀九年)の十二月、筑紫(つくし)の蚊田(かだ)※2で生まれました。幼いころから聡明で、物事を深く見通す心を持ち、立ち居振る舞いに聖帝の兆しがありました。
神功皇后摂政三年に、皇太子となりました。
ホムタは、皇太后の胎内にいるとき、天神地祇(あまつかみくにつかみ)から三韓を授けられました。
生まれたときから、腕の上に筋肉が盛り上がっていて、その形は、皇太后が武装して雄々しく戦ったときに腕に着けていた鞆(とも)※3のようでした。古代、鞆をホムタと言ったので、御名をホムタというのです。
六十九年四月、皇太后が亡くなりました。
翌年正月一日、皇太子は即位して、応神天皇となりました。
応神二年三月三日、ナカツヒメ(仲姫)を皇后にしました。
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