一故人

藤圭子、平山亨—2013年8月の物故者

今回の「一故人」は、8月にその死について幾つもの報道が出た、藤圭子と平山亨について綴ります(平山は7月31日没)。一世を風靡した歌手と、『仮面ライダー』シリーズなどヒーロー物の傑作を世に送り出した名プロデューサー、それぞれの歩みを追ってみてください。

「否応なく歌っていた」彼女にとって音楽が「生きる最高の楽しみ」となるまで—藤圭子(2013年8月22日没、62歳)

作家の村上春樹が学生時代、東京・新宿の小さなレコード店でバイトしていたときのこと。ある日、その店に歌手の藤圭子が訪れたことがあったという。1970年頃というから、藤はすでに押しも押されぬスーパースターとなっていた。それにもかかわらず、彼女はマネージャーもつれずに1人でふらっと店に入ってきて、《すごくすまなさそうなかんじで「あの、売れてます?」とニコッと笑って》村上に訊ねたそうだ。ただ、彼には何のことかよくわからないので、奥から店長を連れてきた。

このとき、店長が「あ、調子いいですよお」と答えると、藤は《またニコッと笑って「よろしくお願いしますね」と言って、新宿の夜の雑踏の中に消えていった》という。店長によれば、そういうことは以前にも何度かあったらしい。このときの藤の印象を村上は次のように書く。

《僕はまるで演歌は聴かないけれど、今に至るまで藤圭子という人のことをとても感じの良い人だと思っている。ただ、この人は自分が有名人であることに一生なじむことができないんじゃないかなという印象を、その時僕は持った》『村上朝日堂』

この文章が書かれたのが1980年代と、すでに藤が離婚や引退など紆余曲折を経ていたことを思えば、あとづけの感もなくはない。だが、1970年の時点で藤が「有名人であることになじむことができなかった」ことは、当時の雑誌での発言からも察せられる。

殺到する取材に「インタビューって、嫌いよ」と言い始めた彼女は、ある雑誌のインタビューでも《もう思考能力がなくなってますからどんどん聞いて下さい。ハイ、イイエで答えますから》と投げやりな態度を示している(『アサヒグラフ』1970年7月31日号)。

藤圭子がデビューしたのはこの前年、1969年9月のこと。マネージャー兼作詞・作曲家兼事務所社長である澤ノ井龍二(作詞家としてのペンネームは石坂まさを。2013年3月9日没、71歳)は、デビュー曲「新宿の女」を売り出すにあたり、藤と2人で新宿界隈の飲み屋やレコード店を25時間かけてまわる荒行ともいうべきプロモーションを行なっている。

1951年に岩手県一関市に生まれた藤圭子—阿部純子(独身時代の本名)は、幼くして北海道旭川に移り14歳まですごした。ただし両親が旅回りの浪曲師であったため、彼女もそれについて各地を回ることも多かったようだ。初めて人前で歌ったのは小学4年のときで、中学3年になる頃には、北海道岩見沢の湯治場にある娯楽センターの専属歌手としてスカウトされている。

転機は、中学卒業を間近に控えた1967年2月に訪れた。岩見沢での雪祭りショーで、出演予定の新人歌手が急に出られなくなったため、純子がピンチヒッターを務めたところ、それを聴いていた東京の作曲家からプロの歌手になるよう上京をすすめられたのだ。

もっとも上京してすぐにプロになれたわけではない。レコード会社をまわったものの、なかなか受け入れられなかった。そのため下町のネオン街を、ギターを弾きながら歌って回ったり、慣れないファッションモデルをするなどして生計を立てた。前出の澤ノ井龍二と出会ったのはちょうどこの頃だ。彼は、純子の独特の歌い方のみならず、その生い立ちに心を惹かれ、《この子は、存在そのものが、歌。だから、この子のドキュメントが、そのまま歌になる。いままでの歌手にない売り出し方をして、アッとおどろく仕掛けを考えるのだ……》と思い立つ(大下英治『心歌百八つ』)。

もっとも純子を売り出すにあたり喧伝された「ドキュメント」は、何もかも真実というわけではなかった。一例を示すなら、デビュー時、彼女はすでに18歳になっていたが、18歳で少女もないだろうということで、年齢を1歳切り下げて公称された。ちなみに「藤圭子」という芸名は、澤ノ井が世話になっていた日本音楽放送(現・キャンシステム)社長の工藤宏の名前から「藤」を、さらに工藤の妹の桂子から「圭」の字をとって命名されたという。

1970年4月には、3枚目のシングルで代表曲となる「圭子の夢は夜ひらく」をリリース。もともとこの歌はその4年前に各レコード会社の歌手が競作したものだったが、藤圭子盤では、タイトルにその名前を冠したうえ、「十五、十六、十七と わたしの人生暗かった」というオリジナルの歌詞によって、彼女自身の物語を歌ったものとして定着した。この歌は折しも、70年安保闘争の敗北という時代のムードから、若者たちから絶大な支持を得ることになる。

年齢を含め藤のプロフィールがかなり脚色されていたことは、後年になってあきらかになったものとはいえ、それでも彼女のイメージがかなりの部分で演出されたものであることは、ブームの最中から知られていた。

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一故人

近藤正高

ライターの近藤正高さんが、鬼籍に入られた方を取り上げ、その業績、人柄、そして知られざるエピソードなどを綴る連載です。故人の足跡を知る一助として、じっくりお読みいただければ幸いです。

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コメント

aa_river しみじみ読んだ。> 約5年前 replyretweetfavorite

giantrobo1967 |一故人|近藤正高 @donkou |cakes(ケイクス) https://t.co/1DbGeZxVRW 約5年前 replyretweetfavorite

donkou ケイクス拙連載、更新されております。 約5年前 replyretweetfavorite

nkg_13 「この子は、存在そのものが、歌」と、静かに泣けてきます。 約5年前 replyretweetfavorite