暖冬とはいえ、やはり今年も腰痛に苦しんだ。痛みが激しく、独り引き籠ざるをえない日々が続けば、心まで折れかける。12年前夫を亡くした直後から私をずっと診ている名古屋在住の鍼灸師も、私に時おりそんな状況が訪れることも知る。冬の初め大阪出張の折、訪ねてくれた。
「福本さん、元気でしたか?最近誰かと話せてる?」と問う彼を「なに?ほんとにばあさんの安否確認?しばらく会ってないから私の言葉がわかんなくなったか?」と笑い飛ばす。「わかんないのは前からです。いやー仕事もやめたし、外に出ないと、そのうち季節もわかんなくなりますよ」とほくそえむ。そう!その向井理似の顔が私を元気にさせてきた。
「今は外よりもトイレに一人でいけたらそれでいい。なんとかして」と私はすぐさま患者になる。「ははは、その程度のお望みなら叶えてしんぜますよ」と彼は往診箱から鍼やお灸を取り出す。うつ伏せになると「ハハハックション」と背中越しにくしゃみをされる。
「もー」とむくれてみせると「ごめんごめん。でも、福本さん、人のくしゃみなんて気にしたっけ? 自分は枕ぬらしてんのに」と突っ込まれる。「再会にうれし泣き」「うそこけ。口の部分だし。それは涙じゃない!唾液。ハッハクショ―。これは出かけたくしゃみ」「くしゃみでびっくりして動くのが怖いの。針が変なとこ刺さるかも」「大丈夫。僕は怖くないから。そんなことよりケツの力抜いて!ふぁーあ」あくびを一つして、お尻に長い針を丁寧に打っていく。
「はい、おしまい、また伺いますね」と日を定めない約束をしたのは、コロナウィルスという言葉が世に出ていなかったころ。数少ないが、ややこしい私と共に生きる覚悟のある人はいる。私の命を温めてくれる人との出会いを重ねながら、痛い冬をなんとか乗り切り、今年は本の宣伝を兼ねて上京するはずだった。
新型コロナの到来がなかったら、明日は東京大学で学生さんと話していたはず。セールで防寒できる春色コーディをテーマに洋服も一式買いそろえ、心待ちにしていたのは私だけではない。東大ゼミの担当者も「障害マストゴーオン」の編集者も。初顔合わせ予定だった新聞記者さんも肩を落としながら「イベント延期」をくだした。
スカイプなどでの開催も、と提案してみたが、言語障害がネックになった。やはり直接会って言葉を重ねることがこのイベントでは大事なこと。状況をみながら日程を組み換えますと希望は残したまま。 私は一晩悔し泣きをした。やっとこの本を通して人と出会える機会が・・・。私だけが歯ぎ しりをしているのではないのはわかっていても、涙は出た。 が、「自粛」なんてくそくらえ!と一人新幹線に乗ってみたとて、今は誰も待っていては くれない。
私は脳性まひに加えて心臓も肺もあまり丈夫ではない。外出も必要最低限に、ジャムやぬか漬けを作り、DVDを観る毎日なのも事実だ。あーあ、私も一応分をわきまえる「社会の一員」なのだ。こんなことで知るなんて皮肉だけど。