※これまでのお話は<こちら>から。
吐き出せない想い
― 2017年 父65歳 母61歳 私32歳 ―
「久しぶりにごはんでもいかない?」
数ヶ月会っていなかっただけで、私の身の回りでは急速に様々なことが起きていた。気のおけない女友達に、すべてを話して聞いてもらおう、と思った。
しばらくお互いの仕事や恋愛の話、私もシェアオフィスに入ったという話をした。それから、父の介護の話を、母のがんの話を…。しようと思ったのに、なぜか切り出せない。明るい話をすればするほど、暗い空気にしてしまう話題に切り替えることが怖かった。
「久しぶりに話せてよかった。仕事がんばってね」
「うん、ありがとう。またね」
ああ、言えなかったな…と、帰り道に思う。
今の私の気持ちをすべてを吐露したい。だけど、自分の話をいきなり切り出すには、今私の抱えているものは重すぎる気がする。私の同世代ならなおさらで、いきなり介護の話や病気の話をされたって、引かれてしまうんじゃないか…という不安は常につきまとう。
自分の頭の中に渦巻いているものを、誰かに話したら楽になるのだろうか? それすら、自分では判断がつかない。一つ話し始めたら泣き出して、とめどなく話してしまいそうなギリギリさを常に抱えていた。聞く側に負担がかかるのではないかと思うと、無意識に口をつぐんでしまう。
だからこそ、シェアオフィスを利用するのと同時くらいにはじめていたことがある。
それは、「書くこと」だった。
SNSではシェアできない感情
ここ数年の私は、人生の中で、父に一番冷たい態度をとるようになってしまっている。 日々同じ質問をされたり、身の回りのことができなくなっていく父に対して、毎日穏やかな言葉を選んで優しく説明してあげることがなかなかできない。
一緒に夕飯を食べていると父が、目の前でかかっているテレビの話をしてくる。そして10分間のうちに、「この人誰だっけ?」と同じ人のことを何度も聞いてきて、うんざりしてしまう。病気の症状だと頭でわかっていながらも、寛容になれない自分に自己嫌悪を強く感じていた。
いままで私には大きな反抗期がなく、「洗濯物、一緒に洗わないで!」という時期もなかった。
だからこそ自分が父にそんな冷たい態度をとるようになっていることが信じられなかった。 父の病気は認めているつもりでも、進行していく病状のひとつひとつは、なかなか受け入れがたい。
両親の病気について、SNSに書いてみようか、とも思った。本当は、「私はこういうことで悩んでます」と、大きな声で言いたかった。有効な助言がもらえるかもしれないし。でも言えなかった。
友人の話題は、育児のことや仕事のこと、美味しかったごはんのこと、旅行のこと。少なくとも身の回りで「両親の介護」について書いている人、話している人はいない。
共感してほしい気持ちはありながら、同情を引こうとしていると見られたらどうしよう。
何を言われても傷つきそうだったからこそ、1つでも被害的な状況が浮かぶ行動をとる気力はなかった。
そのかわりに私は、行き場のない自分の心情と、その日起こった出来事の記録を、携帯のメモでぽちぽちとつけていった。
家の中でも、電車の中でも。何か思うことがあったときに、誰にも見られることのない世界で、無心で書く。数日後に見返して、「ああ、こんなことを思っていたのね」と、他人事のように見つめる。
それが自分の本音と対話する手段だった。
「これは到底SNSにアップできないなぁ」ということを書くことで、気持ちを吐露していたのだ。
『書く』ことの効能
つらい想いへの対処は、『発散』したほうがいい。スポーツやカラオケ、その他の趣味に打ち込む…など手段は色々あるにせよ、私にとっては『書く』だった。
加えて、『書く』ことの重要性は、発散以外にもう一つあった。
それは、『今自分の目の前で何が起こっているかを知る』ことだった。
婚約破棄・認知症の父への苛立ち・母のがん発覚。立て続けに出来事が起こった私の頭は、とにかく混沌としていた。今「つらい」と感じる理由がどこにあるのか、その輪郭が見えない状態もつらかった。
毎日を過ごす中では、度々起きる小さな事件も、記録しなければそれきりで忘れてしまう。苛立ちの原因は忘れてしまうが、ネガティブな感情だけが積み重なってしまうのだ。
その小さな事件を書いておくと、「3日前に◯◯の事件があり、今日も●●という新たな事件があった…」と把握できる。そうすると、「そりゃイライラするよね」と自分に言うことができるのだ。
父のことを家族に愚痴っても、息苦しさが蔓延するだけ。それならせめて、自分で自分に「ドンマイ」と声をかけてあげられるようにする。意識していたわけではないが、『書く』ことは自分の気持ちを客観視して励ます材料も私に与えてくれた。