「このままいけば、間違いなく大戦になる」|疾風怒濤(八) 2

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚!
早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男は
どのような人物だったのか?
幕末の佐賀藩に生まれ、
明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への道筋を切り拓いた男の思想と生涯とは。
青年期から最晩年まで、
「走る人」「闘う人」「創る人」「聞く人」として駆け抜けた、
令和版大隈像をお楽しみください。

 背後から聞き覚えのある声がした。

 肩越しに振り向くと、見慣れた顔が二つあった。

「副島さん—。あっ、大木さんも一緒にどうしたんですか」

「どうしたと聞きたいのはこっちの方だ。褌一丁でどこに行くつもりだ」

「どこへって、逃げようと思ったんですが—」

「なんで逃げるのだ」

 言われてみれば、捕吏の手入れと勘違いしたのは大隈である。

「誰でも脛に一つくらい傷がありますよ。突然、騒ぎになれば逃げたくなるものです」

 決まりが悪そうな顔で座に戻ると、大隈は着物を着始めた。藤花はいつの間にかいなくなっている。

 副島が膝を叩かんばかりに言う。

「ああ、そうか。密貿易で捕まると思ったのだな」

 大隈が慌てて窓の障子を閉める。

「そんなに大きな声で言わないで下さい。本物の捕吏が来ちまいます」

「こいつは悪かった」

「どうしてここが分かったんですか」

 帯を締めながら大隈が問うと、副島がその場に胡坐をかきながら答えた。

「そなたが寄りそうなところを片っ端から探していた」

 腕を組んで事の成り行きを見守っていた大木が、ようやく声を上げる。

「副島さん、そんなことより用件を話しましょう」

 大木民平こと喬任は大隈より六つ上、副島より四つ下の三十五歳。少年時代から英才の誉れが高く、十七歳から義祭同盟の一員として活動してきた。無類の大食漢として知られ、皆で膳を囲んで夕餉を取るとなると、まず大木の前にどんぶりいっぱいの茄子の煮つけが置かれる。それを大木が一人で食べている間に、皆は酒を飲みながら、ゆっくりと食事を楽しんだという。

 また大木は、副島や大隈のような苦み走ったいい男とは違い、醜男の上に背も低くて太っている。だが本人は「万事人の言うことを意に介さない」という流儀で、淡々と勉学に励んでいた。

「民平、話してやれ」

 副島から促された大木が語り始める。

「公務で大坂に行ってきたのだが、大坂では再度の長州征討に向かう兵たちで、ごった返していた」

 大木によると、五月七日に将軍家茂(実際は一橋慶喜)は、三十一もの藩に長州への出兵命令を出し、いよいよ第二次征討を本格化させたという。

「このままいけば、間違いなく大戦になる」

 大隈が問う。

「薩摩は仲裁しないんですか」

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威風堂々 幕末佐賀風雲録

伊東潤

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚! 早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男は どのような人物だったのか? 幕末の佐賀藩に生まれ、 明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への...もっと読む

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