第5章 その敏感さを「強み」にする
私の考えるHSC、HSP像
HSCやHSPを、私はどんなイメージとして捉えているか。単に感覚が鋭敏、繊細であるだけでなく、生まれ持った脳の働きが大多数の人たちとは違う「特別な子たち」「特別な人たち」であると私は考えています。これがアーロン博士と共通しているかどうかは確かめることができていませんが。
脳の不安や共感の神経回路の働きが強く、先読みや抑制のかかりやすい人たち──。病気でも障がいでもない。生まれ持った脳の性質が違うのです。
現実としては、「発達障がいですね」と診断されている人もいます。「普通よりちょっと神経質なだけでしょ。細かいことを気にしすぎなだけなんじゃない?」と言われてしまう人もいます。でも、それはどちらも的を射た見方ではないと私は感じています。
発達障がいもHSPも、大多数の人には想像もつかないほどの生きづらさや困り感や感じ方をもっているのです。〝異なる文化〟をもって生きていると考えたらいいのです。
現代社会の基準に当てはめたときに、HSPとしか言いようのない人たちがいて、その中に、障がいと呼ばれている特性や適応困難さを併せ持っている人もいる、そういうものは持っていない人もいる。どちらもいるのです。
たとえば、自閉スペクトラム症の人であったとします。その人がHSPであったら、自閉スペクトラム症の症状としての感覚過敏もあれば、HSP気質としての敏感さもある。それを、ごちゃまぜにしてただ「敏感さ」という切り口だけで捉え、しかも障がいであるかどうかという視点だけで見るのはおかしいというのが私の考え方です。
そして、これは言わずもがなのことですが、障がいという観念は、社会に適応しにくい状況を抱えた人を支える仕組みとしてあるものであって、それがその人を社会から区別するための基準になってはいけないということです。
好奇心が強かったり、共感力や同調性が高かったり、感動する力が強かったり、直感力があったり、状況把握力があったり、創造性に富んでいたり……発達障がいのある人の感覚過敏とは別の力がいろいろあります。そういう面について、もっと目を向けてあげてほしい。これは強調しておきたいところです。
内面の豊かさがなかなか理解されない
私が臨床で出会う多くのHSC、HSPは、さまざまな生きづらさを抱え、ときには非行に走ったり、自傷したり、解離が起きて自分を見失うような状況になったりしてやってくる人もいますが、それは育ちの中で二次的に作られたものであり、一次的には、世の中の役に立つ優れた資質をもった人たちばかりです。おそらく、ピュアすぎる魂を持っているからこそ、生きづらくなってしまうのです。
勉強のできる子もいます。勉強は苦手な子もいます。神経発達症で学習症なども抱えている場合は、勉強だけでなく普通の学校生活、集団生活も難しい。進学するにもなかなか希望どおりにはいきません。
どうやって自分を伸ばせばいいのか、この社会の中のどこで、自分の能力をどう活かしていけばいいのか、そういう場がなかなか見つからないのです。
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