そのままでいい
誰もがみな、自分の中にある特性を引き受けて生きていかなければなりません。否定したり、消したりすることはできないのです。
本来のものを「消す」のではなくて、「それはそれでしょうがない」「もう、いいよね」と、自分のそういう性質と付き合っていく心がまえを持つほうがいいと思います。無理やり消さなくてもいい、そのままでいいのです。
HSCは、敏感で繊細なのだから、抑えたり隠したりするのではなく、それを活かせばいいんだ、という方向へ導くことが重要です。
そして、自由を保証してあげることが大切です。
都会で暮らしている敏感な人が「もうつらくてたまらない、助けてください」と悲鳴を上げたので、「わかった。そんなにつらいんだったら、帯広に飛んでおいで」と言ったところ、本当にすぐにやってきて、2か月ほどアパート暮らしをしました。都会の騒音から離れ、人間関係のいざこざから離れて、帯広の自然の中でゆったりと過ごしながら、いろいろな思いを私に吐き出したら、すっかり元気になって戻っていきました。
そういう姿を見ても、敏感な人たちが社会に適応していくことのハードルを感じます。過敏性の問題もあるし、とても疲れやすいので、優秀だけれども普通のようには働けないということもあります。
そういう人たちを助けるには、理解して手を差し伸べて支えてあげる人、場所、時間、空間、そういうものが必要です。
どうやったら、そういう場をつくれるのか。それには、「それでいいんだよ」ということがわかっている人たちが必要なのです。世の中の普通の人は、「怠けているんじゃないか」とか「甘えている」などと言ってしまいますが、責めたりしないで、「いいんだよ」と言ってあげることが大切なのです。
子どもが悪さをすると、「そんなことをしてはいけない」と言います。子育ての場や教育の場では、そういうことが多い。「それでいいんだ」とはなかなか言えない現実があります。けれども、否定は、まわりが子どもを縛ったり、本人も自分を縛ってしまうことになるのです。「これではダメだ」という言葉が、自己否定に走らせるのです。
だから、それを「それでいいんだ」と受けとめる。
そんな甘いことを言ってはいけないという意見もありますが、「試してみてくださいよ、本当にそうなんだから」と私は言いたいのです。
吐き出すことの大切さ
あまりに敏感すぎて、病院という環境になじめず、入院もできない人がいました。
お父さんはADHDでHSP、お母さんは優しいHSP。小さいときから気の利く子でした。お父さんは激しく子どもにあたります。それを、お母さんや妹と一緒に耐えてきました。
福祉関係の仕事に就いたのですが、まわりの人の気持ちが入り込んできてしまって、働けなくなりました。
自分の敏感さをどうするか、というところで、彼女なりのチャレンジがありました。
小さいときから家庭で我慢してきたこと、苦しかったことを、お母さんにワーッと吐き出したのです。お母さんは、それをずっと聞いてあげました。その吐き出し方は、ものすごかったとお母さんが言っていました。泣いて、怒って、ここまで言うのかと驚くぐらい、過去のことを言ったそうです。ずっと我慢、我慢で耐えてきたものがそれだけ積もり積もっていたということです。
そういう段階を経て、いまはちゃんと自己主張ができるようになりました。もともと勘も鋭いですし、頭脳も明晰です。カウンセラーになれるのではないか、という感じにまで落ち着きました。
心に溜まっているものを吐き出すこと、受け止めてもらうことがいかに大切かという見本のようでした。
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