嫌われる勇気と見守る勇気
そして、見守る人が頑張りすぎないことが大切です。「嫌いだなあ」「あの人がいけない、あの環境がよくない」と思い始めたときには、他者思考になっているということ。自分が不調になっている証拠だと思ってください。
とにかく今のあなたにできることを、できる限りでいいですから、してください。今、ここでできることでいいのです。
人の支援など、自分に余力がないとできません。知識があったり、お金やエネルギーに余裕があったり、そういうときにしかできません。
では、どうやって支援のための余力を作ればいいでしょうか。
それには、対象になる人との距離が必要なのです。自分の課題なのか、相手の課題なのかを考えること。つまり、相手が克服するしかない課題まで、自分のものとして抱え込まないことです。
そして、「今、この嫌な時期は学ぶチャンスなんだ」ととらえることも、試してみてください。
自分にはもう無理かなと思ったら、「他者に預ける、見守る、頼る」勇気を持ってください。見守る勇気が、最終的に必要です。
待つことはすごく大変です。みんな待てなくて、よけいなことをしてしまうのです。でも、焦らないでください。下手にかかわるよりは、お金を出して他者に預けて自分は見守る、そちらのほうがいいのです。
病院や施設などにその人を残して、自分は旅行に出掛けるというのもあります。死なないという確証があったら、その人が自分と向き合う時間を作ってあげることが大切なのです。
このとき、正直に言う必要はありません。「具合が悪いからちょっと入院する」とか、「親戚の家にどうしても行かなければいけない用事がある」とか、そういう口実を使ってかまいません。ウソも方便です。相手のためにウソをついてあげましょう。
このとき、「嫌われてもそうする」という勇気は必要ですが、嫌われることはありません。大切な人のために、見守る勇気と嫌われる勇気、その両方を持ってください。
うつの人からの「サイン」はキャッチできない
うつの人を見守っている人は、本人が言葉以外に何らかのサインを出すことがあるので、「それを見逃してはいけない」と思っている場合も多いでしょう。 cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。
でも、私はそうは思いません。サインなんて、見逃して当たり前です。
「後から考えてみると、あれがそうだったのかな」みたいな感じのもので、わからなくて当たり前なのです。
私の尊敬している専門家の先生たちも、サインについていろいろ書いています。たしかに、専門家から見たらそうだったり、後から考えてみるとそうだったりします。
でも、サインを見逃すまいと思えば思うほど、みんな「なぜ見抜けなかったのか」「見逃した私が悪い」と、自分を責める方向へ行ってしまうのです。
だから、「わかったらラッキー」ぐらいのつもりでいてください。患者が出すサインについて書いてある本を買って、それを読んで「これかもしれない」と思って、それがピッタリ合ったらラッキーだと思ってください。
「人のことをわかると思うな」と肝に銘じてください。