認知症の家族と同居するということ
― 2017年 父65歳 母61歳 私32歳 ―
父はしょっちゅう、ノックせず私の部屋に入ってくる。
ガチャッ。
「あれ、これ俺の部屋だろ?」
かつての父の書斎が私の部屋になったことを、父はなかなか覚えてくれない。
「だから、私が使わせてもらってるんだって」
「なんだよ、俺の部屋だったのに。この家に住んでるの?」
「住んでるよ。お父さんも納得してくれたじゃん」
父は口を尖らせて「なんだよ〜」とブツブツ言いながら部屋を出て行ったかと思えば、10分後にまたドアをノックせずに入ってきて同じ一周が始まる。
2回、3回と続くと、いつしか私は部屋に入ってきた父を見向きもしないまま、短い返事をするようになる。
「…うん。」
「そうだよ。」
「はい。」
声のトーンは、私の余裕がなければないほど、冷たいものになるのだった。
父が認知症と診断された年、私は非常勤職員として勤めていた福祉施設を退職し、フリーランスになった。職場の居心地がよく、予想外に長く働いてしまったが、はんこの仕事も増えてきたのでもう少し本腰を入れて取り組んでみようと舵を切ったのだ。その後、自身の婚約破棄、そして母のステージⅣのがんが発覚、と見事に前途多難なフリーランス生活の幕開けとなったわけだが…。
昼と夜の区別がつかなくなってきた父は、しょっちゅう母を変な時間に起こすようになった。耐えかねた母は父と寝室を分け、私が使っていた部屋で寝るようになる。
婚約者との同棲を解消し、数年ぶりに実家に戻った私は、父が書斎として使っていた部屋を使わせてもらうことにしたのだった。
そうして自分の作業部屋は作れたものの、フリーランスの身であり、この時点では毎日仕事があるわけでもない。
実家に戻る以上、今まで同居していなかったからこそ逃れられた父の介護に巻き込まれていくことは明らかだ。
会社員のように外に勤めるわけでもないので、家に一日中いると、あっという間に家庭の中の些細な出来事に振り回されて、すごく小さな世界に生きていくことになってしまう。
そのことに強い危機感を覚えていた。
母の愚痴が止まらない
母は、家にいるなら父の面倒を見てよねとか、家事をやれとか、そういうことは私に一切言わない。父と結婚してからずっと専業主婦だった母は、『家の仕事は自分の仕事』という精神が強く根付いていて、良くも悪くも子供に手伝いを強いてこなかった。
事情があるときは私や兄弟に留守番を頼むが、それ以外のことは自分の仕事としていた。不在にするときも、出かけるという負い目をイーブンにしたいと言わんばかりに、それまでに夕飯を用意しできる限りの家事をしてから出かけていく。そういう母だから、父の面倒を残して自分が逝くなんて、引き継ぎもせず退職するみたいな後味の悪さを感じていたのだと思う。
しかし問題は、日々、父への愚痴が止まらないことだった。
「お父さん今日もね、私が夕飯作ってる時に、テレビ見ながら話しかけてきて。面倒だから聞こえないふりしてたら、『もっと大きな声で答えろよ!』とか『無視するなよ!』とか言ってくるの。薬の副作用で声が出づらいのに。忘れてるんだよね…」
父は、母が病気であると言う認識を常に持っていられず、以前と変わらず母に横柄な態度をとる。
父の態度は確かにひどい。ただ、顔を合わせる度に母からマシンガンのように繰り出される最新の愚痴を聞き続けるのは、正直に言って、しんどい。
父からのストレスを母が吐き出すのは無理もないが、毎日私もそれを受け止めきれない。そうして解消しきれずに行き場をなくしたストレスが、家の中に空気のように漂い続けていた。
『自分でできる』と頑なに信じている父
一緒に生活していると、どうしても父の困った行動はいくつも目にする。父の変化を見てきてはいたが、数年間離れていた実家に戻って一緒に暮らすとなると、やはりそのストレスは私に大きく降りかかる。
この頃の父は、すでに時間の感覚を失っていたこともあり、誰かが食事やお風呂を用意して促さなければ、自力で日常生活を送れなくなっていたのだ。
ある日のこと、父と母が喧嘩している声が父の寝室から聞こえてきた。ようすを見に行くと、どうやらテレビのことでもめているようだ。以前業者に配線してもらったテレビを、父が勝手に移動させようとしていたらしい。それを見た母が「外しちゃったらわからなくなるじゃない!」と激怒していたのだ。
確かに父は、寝室のテレビが壊れたと数日前から言っていた。私も余裕がなく取り合わなかったのだが、父は自分でそれをどうにかしようとしたのだ。
「テレビの配線なんて難しくないし! 今まで全部俺がしてきたんだからそんなに喚き立てるなよ!」と反発する父。
「じゃあ目の前で繋いでみせてよ! できないでしょ! 一人で直せないのに、なんで勝手なことするの!?」と母が涙ぐむ。父は「そう焦らせないでよ、自分でやるから放っておけよ!」と取り合わない。
らちがあかないと母は呆れて部屋を出ていった。私も父の様子にイライラして、こんこんと責めた。
「そうやって、すべてのことを簡単って言わないでよ! 配線だってごはんだってお風呂だって、今まで簡単だったものが、いまは難しくなっているんだよ!」
いつになく声を荒げてしまった。
「ごはんだってお母さんが作ってるし、全部、お父さんのかわりに誰かがやってることなんだよ! だから簡単に自分でできるって言わないで! お母さんがいなくなっても、私だって面倒みきれないからね!」
もう、言い出したら止まらない。
一息ついて、「テレビを移動させるのは危ないから、動かさなければ、配線は色々やってみてもいいから」とだけ言って私が去ろうとすると、父は急に素直になって、静かにつぶやいた。
「…わかった」
父のつらそうな表情を見て、私は、さっと血の気が引くように我に帰る。
話の発端は、たかが『テレビの配線』であって、ごはんもお風呂も介護も関係ない。そんな根本的なことを話す場じゃなかったのに。
父だって、状況を全くわかっていないわけではない。『自分でできる』と言い張りながらも、日常生活でうまくいかないことは増えていて、ある程度肌で感じているのだ。
父の言動も、認知症という病気のせいなのであって、父の世界と現実世界のズレを、わざわざ言葉にして責め立てても、いいことなど一つもない。後から考えればわかることも、渦中の私にはまったく余裕がない。
自室に戻った私は、一方的に父を責めた罪悪感に襲われ、泣いた。
その後ほどなくして帰宅した弟が、経緯は知らずとも、父の部屋のテレビの配線をあっさりと直してくれた。
弟よ…君はえらい。
新しい出会い
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