おひとりさまとファッション

おひとり様でなくても、ファッションにどれくらいお金をかけるかは迷うところです。お洋服が大好きな人もいますし、なるべくお金をかけたくないと思う人もいるでしょう。洋服とは、特に日本ではその人の属するコミュニティを表すものでもあります。経済評論家の佐藤治彦さんが言う、「おひとり様」が気をつけるべきファッションとはなんでしょうか?

おひとり様とファッションにどんな関係が?

 今回はおひとり様とファッションについて考えてみたいと思います。

それは、おひとり様が陥りがちな問題を含んでいるからです。   
 いったい洋服代にいくらかけるべきか、どうやって買うべきか。
 そもそも、おひとり様にとって洋服とは何なのか。

 そんなの自分で決めるから、もっと違うことを話してほしいと言われる方もいるでしょう。  
 でも、今回の話は今まで語ってきた住宅や保険、年金のこと以上に大切かもしれないです。

 おひとり様になってしまった。  
 おひとり様を選択している。  
 たまたま、今はおひとり様だけれども、5年後10年後はどうなっているかわからない。 
 変テコな人と一緒にいるよりは、おひとり様のほうがいいと思ってるだけで、別に固執しているわけでない。

 おひとり様と言ってもさまざま背景があります。  
 人生は短いようで長く、長いようで短い。  
 あとで後悔しないように、ご自分の好きなように生きていただきたいと思います。他の人の意見を聞いたり、いろんな生き方に触れたとしても、最後に決断を下すのは自分自身のはずです。  
 ちょっと冷たく突き放すと、家族や周りの人からのプレッシャーや世間の同調圧力に流された結果の生活をしているとしても、それもあなたの判断だからです。

 さて、まずは僕が中学から大学にかけて住んでいた、東京郊外の近所のおひとり様の話から聞いてください。

今から45年前、東京近郊のおひとり様女性

 ごく普通のサラリーマンの長男として僕は生まれました。そして、東京のターミナル駅から公共交通で70~80分の東京郊外の一軒家に住んでました。昭和50年代のことです。  
 まだサラリーマンなら一戸建てを買えた時代でした。  
 自宅の3軒先には30坪弱の土地に小さな平屋の家がありました。そこには、老いた母親と40歳を超えた娘が二人で暮らしていました。  
 母親のほうは道でこちらから「こんにちは」と声を掛ければ、形ばかりの挨拶は返してくれるのですが、娘さんのほうは違いました。そこに住んでいた15年以上もの間で、ついに一度も彼女が近所の人と挨拶を交わしているのを観たことがありませんでした。それどころか彼女の母親と出かけているのも見たことがなかった。  
 朝早く家を出ると、できるだけ人と目を合わせないようにして、ものすごい勢いで仕事に出かけていってた。  
 まだ少年だった僕は、周りの大人には自分から積極的に挨拶しなくちゃいけないと思っていたので、何回か挨拶しようとしたのですが、ついに一度もできませんでした。  
 引越してきてから5~6年経ったでしょうか。中学生だった僕は大学生になった。  
 そして、ご近所からいつしかその家の母親の姿を見なくなったのです。  
 何か月も経って亡くなったという話だけを母親から聞かされました。ご近所でも葬式に出た人はいなかったと思います。  
 亡くなったというよりもいなくなった、消えていったという人生の幕引きをされたのです。

 こうして、娘さんはおひとり様になりました。  
 それまでも母親との仲が決して良かったという話もなく、家の中でも孤立して住んでいたようです。
 家から笑い声が聞こえたことも、夕べの灯が漏れているのを見たこともなかったのです。  
 ただ、母親が亡くなるまでは、小さな玄関の裸電球だけは日が暮れると灯されていました。そして、時おり夜遅くに僕が帰ってくると、その電灯は消えていました。  
 娘さんが帰宅してスイッチを切っていたのだと思うのです。僕にとってはその電灯がついたり消えたりすることだけが、その家で誰かが今日も生活をしているとわかる目印でした。  
 しかし、母親がいなくなってからはその電灯も消えたままとなりました。

 郵便配達の赤いバイクが家の前で止まって、時々ポストに何か郵便物を入れているのを見て、きっと娘さんはまだ住んでいるんだとは思っていました。しかし、ある年の元旦の朝に郵便配達のバイクが止まらないことがあって、びっくりしたことを覚えています。  
 昭和50年代ですから普通に生活していれば、誰かしらと年賀状のやりとりがあるものだったからです。

誰とも関わらない人生

 人生の中でいろんなことがあったのでしょう。  
 中にはできるだけ人と接することを避けたい人もいることも知ってます。  
 もしかしたら、いろいろと傷つく経験を重ねたのかもしれません。もうこれ以上は、他人から何か言われるのも嫌だし、他人の自分を見る視線に耐えられない、と思ったのかもしれません。  
 だから、ひとりひっそり生きる。  
 それは、もうこれ以上傷つきたくない人にとっての自衛手段なのかもしれません。  
 世間は意地悪くひきこもりなどと言いますよね。でも、僕は時おり引きこもったっていいじゃないかと思ってるんです。  
 いろんなことで、今はひとりでいたいという時もあるからです。ひびの入った心を癒す時間が必要なことがあります。息をして、最低限の食事をすることだけしかできない時もあるものです。  
 しかし、それが何か月、何年も続くということになると、どうだろう、このままでいいのかなと思ってほしいです。  
 ご本人がこんな生活から抜け出したいと思っていることも少なくないです。  
 でも、その手立てがなかなかつかめなくなってしまうのです。  
 僕は少年の頃に近所に住んでいたあのおひとり様はどうだったんだろうと、時おり思うのです。

 そんなことを言ったって、その女性は佐藤さんの知らないところで、多くの人と楽しい時間を持っているのかもしれない。ただ、家に帰った時だけひっそりと生活をしているのかもしれないじゃないとツッコミを入れる方もいると思います。  
 しかし、僕には到底そういう風にポジティブに考えることができなかったのです。  
 それは、その人が全身から発するものが、人を寄せ付けないものだったからです。  
 声をかけないで、一人にしておいてというメッセージのオーラが出ていたのです。オーラは言い過ぎでしょうか? 雰囲気ですね。  
 誰かを愛していたり、誰かに愛される要素がその人の風貌から一度も感じたことがなかったのです。

服装もコミュニケーションの一つ

 それは、着ている出で立ちからも感じました。  
 いつも暗い色の流行とは無縁の洋服。果たしてクシを入れたのだろうか?と思うような束ねただけの髪。その上、うつむき加減で足ばやに暗い顔はいをして走り去るように歩いていく。  
 単なる想像ですが、きっと会社でも人と向かい合うよりは、処理しなくちゃいけない書類が山のようにあるほうがいいんだろうなという感じです。  
 オフィスに着いたら黙って机に届けられる書類の案件を丹念に処理していく。そうしてひとり誰とも関わらず仕事が終わり定時になれば帰っていく。必要最低限の事務的な会話はあるかもしれないけれど、それ以上の人間関係は出来るだけ避ける。  
 そんな風にしか思えなかったのです。  
 その人にとっての洋服は冬なら防寒の役割を果たしていたかもしれません。そして、ご自分の趣味なのかもしれません。  
 しかし、現代における洋服の役割を果たしていないと思ったのです。

 今の時代に生きる者にとって洋服とは自分の表現手段であり、他の人とのコミュニケーションです。  
 20代の頃の僕は会社員でした。  
 会社に着ていくスーツは紺、グレー、地味なブラウン。ワイシャツは白、薄いグレー。靴も同系色の革靴です。襟の形にバリエーションはあったとしても、ちゃんと許容されるネクタイの柄の範疇というものがあったと思います。  

 誰ひとりとして同じ服は着ていませんでしたが、見事に帰属する社会が許容する範囲の装いをしていた。  
 東京だけではありません。ロンドンで働いた時もニューヨークでも同じでした。
 ただ、ロンドンはワイシャツにピンストライプのものを着ることがあったり、ニューヨークなら週末にほとんど人のいないオフィスに来るような時にだけ、ポロシャツやジーンズなどで来ることも許されたというくらいでした。  
 オフィスに仕事に来るというよりは、ちょっと寄ったという感じです。  
 こうして、その社会の一員でいることに対してそのハーモニーを尊重していると体現するのです。

 美容院に行くと、きっとまだ働き始めたばかりで給料も大してもらってないだろうなあと思うシャンプー専門の若者まで、思い切りのおしゃれな格好をしています。  
 Tシャツにジーンズという出で立ちだとしても、ものすごく配慮しています。もちろん髪の手入れも万全です。客の私たちはそういうことを気にするものです。腕さえあれば、どんな風貌でもいいなんて思ってません。  
 誰かの紹介などがあるなら別として、もしも飛び込みで入る美容室が、おしゃれに配慮していない美容師ばかりだったら、入りたくないものです。  
 飲食や衣料、食品販売からフライトアテンダントの人たちまで、およそ誰か不特定多数の人と関わり、特に顧客に何かを買ってもらったりする仕事の人は装いだけでなく髪型、匂い、表情などにも非常に気を使うものです。  
 その仕事にふさわしい立ち振る舞いをする。  
 仕事だけではありません。
 結婚式への出席、レストランで誰かと会食する、映画やコンサート、スポーツ観戦に行く。誰かと一緒に出かけるときにはもちろん、ひとりで出かけるときでさえ、その周りの人たちに不快な思いをさせないための出で立ちというものがあるものです。

 件の女性は、そういったものを配慮していないで生きているとと感じたので、きっと会社でも誰ともいい人間関係を持ってないだろうと思ったのです。

おひとり様と孤立はまったく別のこと

 それは、おひとり様というよりも、孤立です。  
 おひとり様と孤立はまったく別のことです。孤高に生きるというものとも違います。  
 ひとりで生きていても、多くの友達を持ち、社会や地域でも楽しい人間関係を築いて笑顔で生きている人は大勢います。  
 反対に社会的な地位や収入も高く家族もいる。つまりおひとり様ではないのに、孤立して生きている人も大勢います。社会にうまく溶け込めない、家庭内別居、家庭内離婚は、まさにその典型です。

 ところが、一部の社会やメディアのおひとり様を取り上げるときには、ここの部分が整理されていないような感じがします。  
 おひとり様=孤立した寂しい人生を送っている人、と決めつけている場合も少なくないように思うのです。  
 私はおひとり様ですが、孤立して生きていきたいとは思っていません。友達がテレビやラジオ、ネットだけって生活はごめんです。

 私たちが支出する住宅や生命保険に関するお金や、年金も、全ては自分個人のためのことです。  
 しかし、洋服や髪の手入れ、それらは自分のためでもあると同時に、それは他の人への配慮、社会への気づかいのためという側面があります。他人とのコミュニケーションの一部なのです。  
 もちろん例外はあります。  
 いわゆるアーチストと呼ばれる職業である人とか、魅力的なキャラクターで誰からも人気があったり、素晴らしい才能や能力の持ち主で人に一目置かれる人も同様です。  
 そういう特別な人は、その人自身が社会や他の人と繋がる要素を獲得しているのです。少し出で立ちが変テコでも構わないかもしれません。
 しかし、多くの人は、特に日本社会に生きている人は、少しやんちゃな10代を送った人でも、学生時代にはアニメのキャラクターのように髪の毛をブリーチしていた青年も、就活活動の時期になると、コミュニティが許容するものに揃えるのです。

 人間関係を築くのが得意でない。むしろ、どちらかというと人に誤解されて苦労ばかりという人もいると思います。  
 あなたはどちらですか?  
 そして、そういう人が洋服や髪の毛の手入れなどをせず、自分はひとりで生きてるのだ、誰にも迷惑をかけていないのだからと、他者の視線に対して配慮をしないということは、他の人や社会と自分の間に大きな塀を立ててしまっているようなものだと思うのです。  
 それは、おひとり様というだけでなく、孤立に向かわせてしまう危険性を秘めています。

 もう一度申し上げます。  

 おひとり様と孤立はまったく違います。

 私は、おひとり様として生きている人が、ひとりぼっちでなく、他の人や社会、様々なコミュニティの中でつながりを持ちながら、つまり孤立してではなく生きていくとなると、ファッションや美容といったことに対しては気をつけなくちゃいけないと思うのです。

 あれ、ちょっと長くなりすぎました。

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おひとりさまの家計経済学

佐藤治彦

「普通の人が老後まで安心して暮らすためのお金の話」「普通の人がケチらず貯まるお金の話」でシリーズほぼ12万部の経済評論家、佐藤治彦のおひとりさまと、将来おひとりさまになりそうな人が、直面する経済と生活の問題を真正面に取り上げて、その具...もっと読む

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SatoHaruhiko 大好評連載中の「おひとりさまの家計経済学」ですが、今回はいつもと違った視点で迫ります。連載の過去のものも読んでいただけます。よろしければ拡散もお願いします。 https://t.co/4yIRhadQBn https://t.co/lgJuTRFQja 8ヶ月前 replyretweetfavorite