いつの間にやら、暑い。
朝から暑い。暑くて目が覚めたりする。じじいか。そうともいえる。
高温多湿、蒸し暑く、エアコンがないと、日陰でじっとしているだけでも汗ばんでくる日本の夏だ。
ならば、朝から風呂に行こうじゃないか。
というので、バスに乗って仙川の「湯けむりの里」に行った。
朝といってもここは午前十時オープンなので、その頃目指して出かける。自宅は三鷹なので、仙川行きのバスで二十分とかからない。
ボクは実家も三鷹で、高校が仙川だったので、懐かしいバスだ。
ただこの暑さだと、バス停まで歩くだけで汗をかく。だからカバンに湯上がり後に着替えるシャツを入れて、Tシャツを着て出かけた。案の定、バス停まで歩いて、バスを待っている間に背中が汗で濡れてきた。
同じ道を、半年前は、分厚いコートを着て、マフラーや手袋まで身につけて、肩をすくめて歩いていたなんて、考えられない。
バスが来て、乗り込むと冷房が効いていて、ホッとする。
高校時代は、バスには冷房はなかった。扇風機だった。しかも通学時は混 雑している。ギッシリ寿司詰めだ。天井の扇風機が回ってきたときだけ、ちょっと涼しい。今だと考えられない。蒸し暑いバスの中で、ワイシャツが汗でくっついている知らない人との密着。タマラナイ。もうあのバスには乗れない。
人間の機械文明に対する甘えんぼ根性は、坂道を転げ落ち続けて止まらない。スマホを忘れただけで、死ぬような大騒ぎだ。
便利は、人をどこまでもどこまでも軟弱にする。
不便は、人に工夫させる。思考させる。努力を強いる。協力を強いる。他人に対するやさしさを強いる。根性を養う。夢を描かせる。
つまり、不便は人を強くする。やさしくする。創造的にする。
はずが、そうはならない。
便利で楽して儲けたい。
だから原発を再稼働したい。
というのが本音だろうが、その本音は「国民の豊かな生活」という看板の真昼の太陽のような眩しさで、見えないようになっている。
なんていうことを、考えてしまうほどバスの中は快適温度になっている。
バスの車窓から見える風景も、ボクが高校生の頃とはまったく変わった。
でも、三鷹高校、杏林大学病院、新川団地は、姿はまったく違うけれど、ほぼ同じ場所にあるので、懐かしい気持ちにはなる。
都立三鷹高校は、ボクの通っていた都立神代高校より、ランクが上の高校だが同じバスを使っていた。そこに仙川にある桐朋学園の女子高生も加わっていた。でも彼女たちはバスを使いたがらず、遠回りしても電車を使う子が多かったようだ。
杏林大学病院は、何度かお世話になったが、近年のこの病院の巨大化、ハイテク化、看護婦さんの美人化は、通院した誰もが認めるところだ。「絶対顔で採用してる」と断言する奥樣方の声も聞く。「入院するなら杏林かな」という旦那様型のつぶやきも耳にする。
新川団地には、同級生が何人か住んでいた。
そのひとりに、かの内田百閒の孫もいた。ウッチャンというあだ名で、中学のときからの友達で、高校も同じだったひとりだ。中学のときはバスケット部でも一緒だった。すごく面白いヤツだった。グハハハ、と笑うとよくヨダレをたらしていた。中学の時、友達のヤッコの家に泊まりに行って、一夜に三十二発ものオナラをした伝説もある。男子トイレでふざけていて、和式便器に足を踏み入れ、その底に穴を空けた事件もあった。
高校生の時、みんなでコンパをやって(コンパなんて言葉二十年ぶりぐらいに使った)夜遅くまで仙川で飲み食いして(まだカラオケボックスなんてなかった)、バス通りを歩いて帰ったこともある。その時、新川団地に住んでいた女の子を友達と送った。三人で歩いて行ったら、暗闇から片足を引きずった坊主頭のオジサンが歩いてきて、ちょっとギョッとしたら、その子が小さな声で「お父さんだ」と言った。ギョッとしてしまったので、自分はそれからの対応に なんとなく困った。さらには
「これから三鷹まで歩いていくんじゃ大変だろう?」
とお父さんがボクらにやさしく言ったのに対し、この俺は無駄に元気な声で、
「大丈夫です!足が丈夫ですから!」
と答えて、別れてから、足の悪い人になんて言い方したんだ、と自分の大失敗に胸をかきむしる気持ちになった。
でも今考えれば、そんなコドモに言われても「若いっていいのぉ」くらいでなんとも思ってなかっただろうに。ボクはその女の子のことを、少ーし、好きだったのかもしれない。なにしろ高校一年生、十六歳の時の話だ。
でもこういう記憶も、今となっては大切ないい思い出だ。
車窓の風景が、アナウンスされるバス停の名前が、次々に遠い記憶を蘇らせる。そういうものが今の自分の心を、そして顔かたちを作っているのだ。
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