第七回】仙川の湯と天せいろ (前編)

今回訪れたのは、通っていた高校がある仙川。通学で使っていた懐かしのバスに乗って、昔の記憶を思い出す。夏の暑さが青春時代の甘酸っぱさも思い出させるのだろうか。今回は、学生時代の話も盛りだくさん! 「孤独のグルメ」の原作者・久住昌之がふらっと立ち寄る銭湯と食事処の話、前編です。

 いつの間にやら、暑い。
 朝から暑い。暑くて目が覚めたりする。じじいか。そうともいえる。
 高温多湿、蒸し暑く、エアコンがないと、日陰でじっとしているだけでも汗ばんでくる日本の夏だ。
 ならば、朝から風呂に行こうじゃないか。
 というので、バスに乗って仙川の「湯けむりの里」に行った。
 朝といってもここは午前十時オープンなので、その頃目指して出かける。自宅は三鷹なので、仙川行きのバスで二十分とかからない。
 ボクは実家も三鷹で、高校が仙川だったので、懐かしいバスだ。
 ただこの暑さだと、バス停まで歩くだけで汗をかく。だからカバンに湯上がり後に着替えるシャツを入れて、Tシャツを着て出かけた。案の定、バス停まで歩いて、バスを待っている間に背中が汗で濡れてきた。
 同じ道を、半年前は、分厚いコートを着て、マフラーや手袋まで身につけて、肩をすくめて歩いていたなんて、考えられない。
 バスが来て、乗り込むと冷房が効いていて、ホッとする。
 高校時代は、バスには冷房はなかった。扇風機だった。しかも通学時は混 雑している。ギッシリ寿司詰めだ。天井の扇風機が回ってきたときだけ、ちょっと涼しい。今だと考えられない。蒸し暑いバスの中で、ワイシャツが汗でくっついている知らない人との密着。タマラナイ。もうあのバスには乗れない。
 人間の機械文明に対する甘えんぼ根性は、坂道を転げ落ち続けて止まらない。スマホを忘れただけで、死ぬような大騒ぎだ。
 便利は、人をどこまでもどこまでも軟弱にする。
 不便は、人に工夫させる。思考させる。努力を強いる。協力を強いる。他人に対するやさしさを強いる。根性を養う。夢を描かせる。
 つまり、不便は人を強くする。やさしくする。創造的にする。
 はずが、そうはならない。
 便利で楽して儲けたい。
 だから原発を再稼働したい。
 というのが本音だろうが、その本音は「国民の豊かな生活」という看板の真昼の太陽のような眩しさで、見えないようになっている。
 なんていうことを、考えてしまうほどバスの中は快適温度になっている。

 バスの車窓から見える風景も、ボクが高校生の頃とはまったく変わった。
 でも、三鷹高校、杏林大学病院、新川団地は、姿はまったく違うけれど、ほぼ同じ場所にあるので、懐かしい気持ちにはなる。
 都立三鷹高校は、ボクの通っていた都立神代高校より、ランクが上の高校だが同じバスを使っていた。そこに仙川にある桐朋学園の女子高生も加わっていた。でも彼女たちはバスを使いたがらず、遠回りしても電車を使う子が多かったようだ。
 杏林大学病院は、何度かお世話になったが、近年のこの病院の巨大化、ハイテク化、看護婦さんの美人化は、通院した誰もが認めるところだ。「絶対顔で採用してる」と断言する奥樣方の声も聞く。「入院するなら杏林かな」という旦那様型のつぶやきも耳にする。
 新川団地には、同級生が何人か住んでいた。
 そのひとりに、かの内田百閒の孫もいた。ウッチャンというあだ名で、中学のときからの友達で、高校も同じだったひとりだ。中学のときはバスケット部でも一緒だった。すごく面白いヤツだった。グハハハ、と笑うとよくヨダレをたらしていた。中学の時、友達のヤッコの家に泊まりに行って、一夜に三十二発ものオナラをした伝説もある。男子トイレでふざけていて、和式便器に足を踏み入れ、その底に穴を空けた事件もあった。
 高校生の時、みんなでコンパをやって(コンパなんて言葉二十年ぶりぐらいに使った)夜遅くまで仙川で飲み食いして(まだカラオケボックスなんてなかった)、バス通りを歩いて帰ったこともある。その時、新川団地に住んでいた女の子を友達と送った。三人で歩いて行ったら、暗闇から片足を引きずった坊主頭のオジサンが歩いてきて、ちょっとギョッとしたら、その子が小さな声で「お父さんだ」と言った。ギョッとしてしまったので、自分はそれからの対応に なんとなく困った。さらには
「これから三鷹まで歩いていくんじゃ大変だろう?」
とお父さんがボクらにやさしく言ったのに対し、この俺は無駄に元気な声で、
「大丈夫です!足が丈夫ですから!」
と答えて、別れてから、足の悪い人になんて言い方したんだ、と自分の大失敗に胸をかきむしる気持ちになった。
 でも今考えれば、そんなコドモに言われても「若いっていいのぉ」くらいでなんとも思ってなかっただろうに。ボクはその女の子のことを、少ーし、好きだったのかもしれない。なにしろ高校一年生、十六歳の時の話だ。
 でもこういう記憶も、今となっては大切ないい思い出だ。
 車窓の風景が、アナウンスされるバス停の名前が、次々に遠い記憶を蘇らせる。そういうものが今の自分の心を、そして顔かたちを作っているのだ。

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ふらっと朝湯酒

久住昌之

三度TVドラマとなることが決定した「孤独のグルメ」の原作者久住昌之が、新たに提案するのが“ふらっと朝湯酒”。その名の通り、朝からお風呂入って一杯飲るという試みを、やってみようというエッセイである。朝から飲むからって、♪朝寝朝酒朝湯が大...もっと読む

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コメント

hidepx 孤独のグルメやってる。主人公が井の頭さんだったと思って調べてみたら原作の久住昌之さんは三鷹出身で在住で仙川の神代高校OBだったんですね。https://t.co/fAhRCzYmiR 約1年前 replyretweetfavorite

yuta_tsukaoka 久住昌之さんが高校の先輩であることが判明。 4年以上前 replyretweetfavorite

hasex 風呂より何より「性器は、もともと半分他人のものなんじゃないか。」ってフレーズが刺さった。 4年以上前 replyretweetfavorite

Hyakken_Uchida 久住さんと内田百閒のお孫さんのお話 4年以上前 replyretweetfavorite