朝貢をめぐる百済と新羅のトラブル
神功皇后摂政四十七年四月、百済王は、クテ、ミツル、マコを使者として、朝貢させました。
新羅国の使者も、クテたちと共に日本に来ました。皇太后と皇太子・ホムタワケ(誉田別尊)※1は大変喜んで、
「先帝が望んでいた国の人の来朝が、今実現した。崩御までに間に合わなかったのは残念だ」
と言いました。臣下たちは皆、涙を流しました。
そのとき、百済と新羅二国の貢物を検証してみると、新羅の貢物には珍しい物が実に多くありましたが、百済の貢物は少なく粗末で、品質が良くありませんでした。
そこで、クテたちにどうしたのかわけを尋ねると、こんな答えが返ってきました。
「我らは道に迷い、新羅に着いてしまいました※2。すると、新羅の人が、我らを捕えて牢に監禁しました。
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