百済との友好の始まり
神功皇后摂政四十六年三月一日、シマ(斯摩宿禰)を卓淳国(とくじゅのくに)※1に派遣しました。
そのとき、卓淳国の王・マキム(末錦旱岐)※2は、シマにこう報告しました。
「甲子(こうし)の年※3の七月に、百済の人で名をクテ(久氐)、ミツル(弥州流)、マコ(莫古)※4という三人が、我が国にたどり着いて、
『百済王は、東方に日本(やまと)という大国があると聞き、我々を派遣しました。我々は道を探すうちに、ここまで来てしまいました。もし、日本への道を教えて、ここを通してくだされば、百済王は必ず感謝するでしょう』
と願い出ました。それで、
『私も、東方に大国があることは聞いている。しかし、まだ訪れたことがなく、道も分からない。ただ、その海路は遠く波が高く、大船でやっと通える道だろう。途中に港があったとしても、大船でなければ、とても行き着くことはできないだろう』
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