母のお腹の中の、絶対の、安らかな眠りから人は目覚め、やがてまた、今度はおそらく永遠の、絶対の眠りにつく。
眠りから目覚め、また眠りにつく。
生まれて、そして死ぬということは、言ってしまえばそれだけのことなのだ。
ただ、前者と後者の眠りには、それは大きな差がある。前者が絶対のやすらぎに包まれたものであるのに対し、後者は、わからない。その永遠の眠りがどのような質のものであるのか、覚醒している間は…その期間が長かろうと意外に短かろうと…これはわからない。
わからないから人は悩むのであろう。自分が、永遠の眠りについたとき、自分が覚醒していた期間にしてきたことを、眠りは、それが正しかったと認識して、絶対のやすらぎを与えてくれるのであろうか。そして、絶対の安らぎを与えてもらえるに値するほど、自分は覚醒していた期間に、何かを成し遂げられたのであろうか。わからない。そもそも、母の胎内にいたとき以来やがて訪れる長い眠りは、母の胎内にいたときのように、絶対のやすらぎに満ちたものなのであろうか。もし仮にそうであるとするなら、なぜ、人は、やすらぐことのできない覚醒の期間を与えられているというのだろうか。もしそうでないなら、人は一体いつやすらぐことができるというのか。死してさえなおやすらぐことができないというのなら、なぜ人は生まれてくるのか。それは何かの罪のためなのか。覚醒とは罪をあがなうための生まれて最初の罰であるとでもいうのか。人はなぜ……
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