大厄を終えて
あけましておめでとうございます。
年始早々めでたくない話題から始めますが、年末に体調を崩してしまいました。ネット中継でご覧になったひともいるかもしれませんが、昨年末の二三日に『おおかみこどもの雨と雪』の細田守監督、音楽の高木正勝氏とトークショーがあったんですね。その席でたぶんぼくはたいへん具合が悪そうにしていたと思うんですが、あのとき、まずたいへんな高熱が出ていた。
熱は二日ほどで引いたのですが、そのあとがたいへんで、なぜか口のなか全体が腫れて、おまけに、右奥歯のさらに奥、親知らずが生えそうなところに大きなできものができて膿が出始めた。さらにその周囲に口内炎がぼこぼこでき、一時は痛みのために、食事はおろか、しゃべることもままならない状態が続きました。いまは症状も収まってきていますが、どうもインフルエンザかなにかしらの高熱が原因で、劇症の歯周炎を起こしていたようです。
いやはや、それにしても辛かったです。完全な断食を四日間余儀なくされ、経口補水液だけを頼りに臥せっていた結果、なんと六キロも体重が減りました。この絶食は得難い経験でした。ほぼ一週間ぶりに固形物──といっても薄いハムですが──に挑戦してみたところ、口が「噛む」という行為を忘れていて、数秒戸惑う、という新鮮な感覚を経験しました。いまコーヒーを飲んでいますが、これも一週間ぶりです。秋口から年末にかけては多忙に不摂生が重なり、無理が祟ったのでしょう。ぼくの場合、多少の発熱だと気合で外出してしまうのですが、口内が腫れたせいでしゃべることはもちろん、飲み食いすらできなくなると、さすがに休みを取るしかない。まさに閉口といった感じです。
それであらためて暦を見て気づいたのですが、ぼくはどうも、二〇一二年、数えで四二歳の大厄だったみたいですね。病気で倒れなければ気にも留めませんでしたが、あらためて振り返ってみると、二〇一二年はたしかに厄年だったのかもしれません。自社刊行物の売れ行きも予想より芳しくなかったし、最後は歯周炎で年末の一週間が完全消滅した(笑)。
二〇一一年が前厄、二〇一二年が大厄だったわけですが、偶然ながら、それは日本全体の危機の時期にあたったような気がします。僕自身も大きく仕事の方向性を変えました。二〇一三年は後厄ですが、運気が上向いてくることを祈りたいところです。二月にはついに、念願のイベントスペースである「ゲンロンカフェ」を開設します。余計な体重も落ちて軽快に動けるようになったことですし、カフェをうまく軌道に乗せて、今年は飛躍の年にしたいものです。
今年もよろしくお願いいたします。
人数だけでは変えられない
といったところで、総選挙も終わったということで今回は時評めいた話を。
病気で臥せっていたあいだに、昨年一二月に出たばかりの『金曜官邸前抗議』(野間易通著、河出書房新社)を読みました。いろいろおもしろいところがあるのですが、どうしても印象に残るのは、末尾の緊急加筆で、日本未来の党の結党について前向きな展望が記されているところ。総選挙で日本未来の党の議席数が伸び悩み、それからすぐ派閥争いで解党した顛末を知っている僕たちからすると、これはなんとも皮肉としか言いようがない。
官邸前デモの意義はいろいろあるし、応援したい部分もあります。しかし、政治というのは本質的にギャンブルに近い性質を持っていて、今回、「官邸前デモで日本が変わる」と主張していた人々が賭けに負けてしまったのはまぎれもない事実です。
『金曜官邸前抗議』自体は、脱原発の理論書というわけではなく、むしろ官邸前デモの運営側から見た事務的な視点による記録が中心になっています。だからこそいろいろ興味深いのですが、他方、「いかにして大人数を捌くか」にテーマを置き、政治やイデオロギーから距離を置いた文章は、まるでコミケ(コミックマーケット)の運営記録を読んでいるようでもありました。どちらのイベントも、大人数の動員を誇り、それが力ということになっている。ソーシャルネットワークがその動員の力を倍化しました。しかし、いまその限界が見えつつあるように思います。