大切なのは、子供に自分たちが必要とされているかどうか。

三度の流産を経て、「養子縁組」という道を選んだ葵と夫の正道。お互いの実家にも話し賛同を得ると、急に真実味を帯びてきた。仕事も辞め、準備に入った葵だったが──。
妊娠と出産にまつわる切実な想いを描いた7編の短編集『産まなくても、産めなくても』から「五つめの季節」を特別公開。

「いろいろとご事情がありそうですね。お察しいたしますが、日本の法律では、妊娠二十二週以上では、中絶はできないんですよ。殺人になってしまうんです」

「殺人って、そんな……。産むなんて絶対に無理ですよ、無理……」

 膝ががくがくと震えてきた。もう終わりだと思った。玲奈と一緒に心中するしかない。

「ちょっと待ってください。今、相談できる人を呼びますから」

 医者は電話をかけた。

「彼女、今、急いでこちらに向かってますから。処置室で待っててください。つらかったら、横になっていたらいかがですか。大丈夫、あなたは一人じゃありませんから。味方になってくれる人がもうすぐ来ます」

「その人に相談するとお金かかるんですか?」

「かかりませんよ。とにかく気を楽にして。お腹の子供にとってはあなたの身体が大地みたいなものなんですから」

 純枝はいわれた通り処置室のベッドに横になった。不安はまだ全身にまとわりついている。この先、自分たちはどうなるのだろう。よほど様子がおかしかったのか、看護師が紙コップで水を持ってきてくれた。

 一時間ほどで、すらりとしたきれいな女の人が現れた。差し出された名刺には、コーディネーター、富樫薫とあった。彼女は純枝の手に自分のそれを重ね、ひとつひとつの言葉を丁寧にゆっくりと話した。

「育てるのが無理だったら、私がなんとかします。だからその子の命を奪わないで。ぜひ産んでください」

 今、私のお腹の中には命が宿っているのだと、はじめて感じた。さっきまで先のことを考えると不安ばかりで、ここに一人の人間がいるなどと気がつく余裕はなかった。

 それから特別養子縁組についての説明を受けた。これは契約ではない。もし途中で愛情が芽生え、自分で育てたくなったらそうしてもいいという。ただし、養子に出したら二度と会えない。育ての親との接触は一切してはいけないといわれた。戸籍のことも説明を受けたけれど、純枝にはそれがそんなに大切なこととは思えなかった。

 役所に妊娠の届を出して、定期的に健診を受けるようにいわれた。

「キャバクラの仕事はやっぱり辞めたほうがいいですか?」

「そうですね。妊婦さんなんだからお酒は絶対ダメよ」

「それじゃあ、生活できない……」

「まずは児童扶養手当の手続きをしましょう。それからいくつか、当たってみます。できる限り、社会に助けてもらえばいいんですよ。お腹の中で未来が育っているんだから」

 薫さんは、毎日のように電話かメールをくれた。自分を心配してくれる人がいるという事実が、こんなに心強いものだとは知らなかった。困ったことがあったら頼れる存在がいると思うと、逆に自分自身がしっかりする。立ちっぱなしのスーパーの仕事も辞めて、薫さんが探して来てくれた事務のバイトに替わった。

 夜になっても純枝が出掛けなくなったら、玲奈は前のように突然叫んだりだだをこねたりしなくなった。毎晩、学校であったことを純枝に話しながら眠る。話したいことが山ほどあるらしく、なかなか言葉が追いつかない。話しながら、いつしか寝てしまうのだった。

 玲奈は日ごとに大きくなっていく純枝のお腹を不思議がった。

「ここにレイナの妹か弟がいるの?」

「ここにはねえ、玲奈のお友達がいるんだよ」

 健診で男の子だとわかった。この子はどんな顔をしているのだろう。どんな声をして、どんなことを話し、将来どんな大人になるのだろう。つい、そんなことを考えてしまうけれど、自分はそれを見届けることはできない。養子縁組に出すことに、まったく迷いがないといったら、噓だ。けれど、自分には玲奈がいる。彼女を守ることが先決だ。本当にささやかな生活だけれど、玲奈の人生を導いていかなければならない。

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この連載について

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産まなくても、産めなくても

甘糟りり子

妊娠、出産、育児、家事……全くもって女性の人生は大変だ。女であるというだけで「あたりまえ」にできることが要求されるのだから。そして仕事をしたければ、その「あたりまえ」でさえ手放さなければならない。女性は、果たして「産む」だけの機械なの...もっと読む

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