未熟な国の宝石
『新世紀エヴァンゲリオン』『魔法少女まどか☆マギカ』『輪るピングドラム』から日本アニメを考える 後編

アニメは子どもが見るもの、なんて言われていたのは大昔の話。この国で独自に進化したアニメは、いまや大人が見るためのもの。そんな、今大人が見るべきアニメについて、若手文芸批評家坂上秋成さんに論じていただきました。前編では「繋がり」をテーマに『新世紀エヴァンゲリオン』を解説しましたが、後編では2011年に登場し、更にそれを深化させたふたつのアニメを読み解きます!

 他国にはない形での「繋がり」の描写から日本アニメを観ることで、戦後日本文化の重要な側面を浮き上がらせることができる。前回『新世紀エヴァンゲリオン』を軸に筆者が展開したのはこのような話だ。しかし、「繋がり」のイメージも理想も時代と共に変化していく。この15年間のインターネット技術の発展に伴い、私たちは過剰に互いの内面を理解しようとするモードから、むしろ表面的だろうと軽やかに場が回るようなコミュニケーションを選択する方向に舵を切ったとも言えるだろう。

 だが、2011年に放送された『魔法少女まどか☆マギカ』と『輪るピングドラム』は表層を漂う感覚を認めつつ、そこに潜んでいる切実な問題と向き合おうとした。以下、順番に2つの作品が辿り着いた回答について見ていこう。

魔法少女まどか☆マギカ 1 【完全生産限定版】 [DVD]
魔法少女まどか☆マギカ 1 【完全生産限定版】 [DVD]

まず、『まどか』はほのぼのとしたキャラクター造形から平和な魔法少女ものを視聴者に想像させたが、実際には魔女を倒すために存在するはずの魔法少女自身が、闘いの果てに魔女化してしまうという絶望的な構図を採用した作品だ。

魔女化した魔法少女を倒すためにまた新たな少女が魔法少女になる契約を結ぶという終わりなき円環構造。それを解消しようともがくのが、ヒロインの一人である暁美ほむらである。彼女は時を操る能力を持ち、魔法少女たちの前に立ちはだかる絶対的な敵である「ワルプルギスの夜」に打ち勝つ未来を手にするため、幾度も時間を遡行し、似たような世界を繰り返しながら可能性を模索する。

彼女のモチベーションは、主人公である鹿目まどかに対する愛情によって保たれている。だが、彼女は幾度も世界をループしているため、一度きりの時間を過ごしているまどかと、望む形での「繋がり」を得ることはできない。無数の経験に伴う記憶(=個人に蓄積されるデータベース)保持しているほむらに対し、まどかは無知な少女として描かれる。

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坂上秋成

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