私たちは、悲しい話を聞くと涙が出ることがある。大怪我をした話を聞いて、その痛みを自分のことのように感じることもある。他人の悲しみや痛みなどの感情や感覚が、自分にうつってくるのである。
これは、「共感」という能力だ。
誰か一人があくびしたら、その部屋にいる何人もの人間が、次から次へとあくびをしてしまう、ということは、日常的によくある経験だ。あくびは脳内に酸素を取り込むために行われる行為だから、一つの室内で同じ空気を吸っていれば、同じようなタイミングで脳内の酸素不足が起こってもおかしくはない、とも言える。けれど、映像であくびをしている人を見ても、人はつられてあくびをしてしまうらしい。このことを考えると、あくびもまたうつるものだと言うことができる。
ただし、すべての生き物であくびがうつるという現象が起こるわけではない。人間とチンパンジーにくらいしか発生しないのである。人間でも、乳児の段階では起こらないことがわかっている。このことから、あくびがうつるのは、ある程度の知性を備えたものだけということができる。
あくびもまた「共感」の一つである。
うつるものと言えば、笑いや恐怖などの情動も同様である。
お笑いのライブに出かけていって会場が笑いに包まれると、自分も自然に笑いがこみあげてくる。恐怖も、まわりが怖がってくることで、平気だったはずが怖くなってくる。
みんなで怪談話を聞いていて、誰かが「こわい」「こわい」と言い始める。「もうこれ以上、聞けない」と言い出すものも出てくる。周りが怖がり始めると、自分も背筋がゾクゾクし始める。これは、恐怖がうつってきているのである。ごく稀にだが、女子校などで怖い話をしているうちに、集団パニックに陥ってしまうことがあると言う。これは、恐怖の伝染が極端に現れてしまった例である。
ところで次のような衝動に駆られることはないだろうか。
すごく面白い映画を見た後、誰かに話したくて仕方がなくなる。びっくりするようなトリックの推理小説を読んだ後、犯人についてしゃべりたくてたまらなくなくなる。
これは、ただ「良いものを見たから推薦する」というような冷静な感覚とは違っている。「いますぐその映画を見てほしい」「見ないんだったらせめていま内容を聞いてほしい」というような、もっと切実な感情を伴っている。こののっぴきならない感覚に秘密が隠されている。
そののっぴきならなさの正体は、自分の感情が消えてしまう前に見てほしい、という切望によるものだ。自分のその気持ちが消えないうちに、早くその映画を見て同じような気持ちになってほしい、と強く願っているのだ。つまり、相手に自分と同じ気持ちになってほしいということである。
これもまた、「共感」と呼ぶことができる。
なぜそれほどまで強く願うかというと、共感には大きな喜びがあるからである。だから人は、友人と一緒にコンサートに行ったり、恋人と一緒に食事をしたりするのだ。お互いに同じ演奏を聴いたり、同じ料理を食べたりすることで、共感から生まれる喜びを感じ合っているのである。
映画館で映画を見ることと家でDVDを借りてきて映画を見ることは、決定的に違っている。その決定的な違いとは、みんなで見るか、一人で見るか、の違いだ。映画館で大勢の人間と一緒に映画を見ることは、一つの体験である。多くの人と同じ空間でスクリーンを見ながら、一緒にワクワクしたりドキドキしたり笑ったり涙を流したりすることは、共感の喜びを体験することなのだ。
お化け屋敷に一緒に入ることで、カップルの仲が急接近することは確かである。それを「吊り橋効果」と言う人もいる。吊り橋効果とは、外部からの刺激によって自己認知が変化するというもので、吊り橋の上にいるという不安定な興奮状態が恋愛の興奮状態に似ているために、恋愛感情と勘違いしてしまうというものだ。
確かに、お化け屋敷に吊り橋効果はある。けれど、親子でも会社の仲間でも男性同士でも女性同士でも、ほとんどのお客様はお互いの距離が縮まっている。これは、吊り橋効果が生む錯覚した恋愛感情では説明がつかない。
一緒に恐怖を体験し、一緒に悲鳴を上げることによって共感が生まれたからである。
共感とは、言葉などを使わずに人間同士を結びつける、最も深い部分でのコミュニケーションなのである。
行列は決して「退屈」ではない
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