なぜ、人の言葉をまとめて本にするのか
永田泰大(以下、永田) 今日は、このメンバーで『岩田さん』を語るといいなぁと思う皆さんに集まっていただきました。
古賀・加藤・柿内 よろしくお願いします。
永田 と、思っていたんですけど、せっかくこういう、たいへんな実績を持つみなさんに集まってもらったので、『岩田さん』についてふつうに感想を話し合ったりするよりも、まず、もっと根本的なことを話してみたいなとちょっと思っています。
加藤貞顕(以下、加藤) ほう。
永田 ぼく、そもそも、「人の言葉をまとめて本にする」ってなんなんだろうと思ったんです。
古賀史健(以下、古賀) なるほどー。いいですね(笑)。
永田 皆さんはどう思っていらっしゃるんだろうと思って。古賀さんと柿内さんはいうまでもなくそういった本をたくさんつくっていますし、加藤さんもいまは経営者ですが、もともとは編集者ですし。
加藤 今でもたまにつくっています。
永田 そうですよね。『岩田さん』のような「人の言葉や考えをまとめて本にする」ってなんなんだろうなと。それを最初にでっかくて砕きづらい石として、この場に置いてみたいなと思っています。難しい切り口ですみません(笑)。
古賀 おもしろいと思います。
加藤 そういう本は、この中では古賀さんが一番つくってるよね。
古賀 そうですね。これは『嫌われる勇気』の共著者・岸見一郎さんと初めてお会いしたときに聞いたことで、彼はアドラー心理学の第一人者でもありますがもともとはギリシア哲学が専門なんです。それで、ソクラテスの話をしていて。実はソクラテスって、自分では本を書いてないんですよ。
永田 ああ。
古賀 しゃべっただけなんです。「ソクラテスはこんなこと言ってました」という本を書いたのが、弟子のプラトン。聖書もそういうものですよね。それと同じで、『嫌われる勇気』のアルフレッド・アドラーも、講演録みたいなものがほとんどで、まともな本は残してない。
それで岸見さんにはじめて会ったとき、「自分はアドラーにとってのプラトンになりたい」とおっしゃったんですね。それを聞いた僕が、ライターとして「じゃあ、ぼくは岸見先生のプラトンになります」と返して。そこからあの本が動きはじめた。
永田 発する人は、そもそも書いていない。
柿内芳文(以下、柿内) 今のアドラーの話でぼくがおもしろいなと思うのは、岸見さんも、古賀さんも、アドラーに会ってないってことです。
古賀 うん、うん。
柿内 だけどぼくらはアドラーの思想を知っている。ぼく、「本をつくる」ってどんな仕事なのかということを20代のときにずっと考えていて。もともと出版にそんなに興味がなくて、今もそんなにないですけど。
加藤 (笑)
柿内 ぼくは基本的に「目の前にその仕事があるから、やんないといけない」というスタンスなんですよ。でも、やることがよくわからないままなのは気持ち悪いという性格なので、どんな仕事なのかと考えて。それでぼくが理解したのは、「文化的遺伝子」を形にしてバラまく仕事なんだな、と。「生物的遺伝子」は、僕らであれば人です。精子と卵子が結合して、子どもが生まれて、今はもう77億人とかになっているわけですよね。
永田 はい。
柿内 「文化的遺伝子」というのはその人が日々、頭の中で考えていること。なので、アウトプットせずに死んだらそこで終わる。でもまずはしゃべることで、その遺伝子は放出されるんです。本にするというのは、それを形にすること。
永田 なるほど。
柿内 逆に「生物的遺伝子」は、まあ、男性の場合は射精して出す。だから、「文化的遺伝子」の場合は、頭の中をどう射精させるか……ってひどい言い方なんですけど。
古賀 (笑)
加藤 まあ、まあ(笑)。
柿内 ぼくは文化的遺伝子をどうやって広げるかということをやっていると思ってるんです。でも広がったあとの結合はコントロールできないんです。だって射精だと一回で2~3億あるんですよ、精子が。それのどれが結合するかなんていうのは、ぼくがコントロールできることじゃないわけですよ。
永田 つまり、男性女性の話ではなくて、まず、遺伝子が放出されて、それがなにと結びつくかはわからない、という構造のことですね。
古賀 うん、うん。
柿内 勝手に結びついたりもするし。そこは責任放棄というか、出すだけ。出したものが、どの人の頭の中に入って、どんなふうに結合するかというのは、コントロールしようということ自体が無駄。
古賀 うん。
柿内 ぼくらも、永田さん以外は誰も岩田さんに会ったことがない。会ったことないぼくらが今日、岩田さんについて語るというのも、なんておもしろいんだろうと思って。
永田 ああ、そうですね。
柿内 だから本をつくるということは、その人が目の前にいてもいなくても、その頭の中にある遺伝子を広めるお手伝いだ、というふうに思ったんですよね。
永田 それを聞くとすごく腑に落ちる。今回なぜ自分が、ちょっと責務のように「この本出さなきゃ」と思ったかというと、たぶん、岩田さんに会っていたからなんですよ。
加藤 なるほどね。
古賀 ああ、そうですね。
永田 会った人が少ないということも知っているし。
加藤 本も出てないしね。
永田 そう。で、クリエーターではなく、ゲームファンというか、その延長の編集者という立場で会った人はさらに少ないことも知っている。だから、ゲームファンであり、編集に携わることもやっている自分がやらないという理由はないなって。
柿内 書き手というよりは、編集者として永田さんが、
永田 そう。今の話で言うと、それ出さないと、
古賀 途絶えちゃう。
永田 そうそうそう。
DNAにジョージ・ルーカスがいる
加藤 ぼくも柿内さんの話にかなり賛成。編集者って、そういう文化的な伝達のお手伝いが仕事なんですよね。ぼくもそういうつもりでやってる。
永田 はい。
加藤 何百年も前に語られたことも、本のかたちだから残っている。シェイクスピアだって今も読まれているわけで。本って言ってしまえば“情報”の羅列なんですけどね。それをうまくやって、おもしろく読まれて。そういう形にすることにはすごく意味がある。このメンバーでは僕だけがコンピューターのプラットフォームもやっているので、ちょっとその話をするんですけど、“情報”という意味では、プログラムというものもそうなんですよ。
永田 ああ。
加藤 コンピューターって、この何十年かでとんでもない勢いで発展してるじゃないですか。「ライブラリー」って言葉があるんですけど、コンピューターの世界では、人が一回書いたプログラムはどんどん共有されていくんです。
たとえば、ウェブサイトの入会フォーム。あれも、既にああいうパーツがあるんです、定型的な。それがどんどんライブラリー化されて、共有されていくんですよ。だから、新しく必要になったプログラムだけを書けばいいようになっているんです。
古賀 なるほどね。
加藤 しかもコンピューターは、コピーがめちゃくちゃ簡単だから。だから異常に進化したんですよ。 本の場合は、読んだり書いたりが大変なんだけど、やっぱりそこに人類の文化が蓄積されている。
永田 それも遺伝子の相続という話に通じそうですね。古賀さんはどうですか?
古賀 遺伝子、受精というたとえになぞらえて言うと、以前、糸井重里さんが、編集者を助産婦さんに喩えていたんですよ。
加藤 あー、なるほど。
古賀 出産する妊婦さんの横についてお手伝いをする。「ひっ、ひっ、ふーっ」って声をかけたり。それが編集者の役割で、どれだけ妊婦さんに寄り添ったか、その時間とか密度とか、そういうものが本にはあらわれるよね、みたいな話をされていて。それが今の「文化的遺伝子」の話にも通ずるなと思って。
永田 誰かの考えたことや創造が、本という文化遺伝子のかたちで世界にばらまかれる。
柿内 そうやって放出された文化的遺伝子は、誰とどう結びつくかわからないんですよ。たとえば、ぼくの中に入ってるDNAを1個1個取り出せば、どこかに「ジョージ・ルーカス」がいるんですよ。
加藤 ほほう。
永田 ジョージ・ルーカスですか。
柿内 ぼくは子供の頃に、ジョージ・ルーカスの本をものすごく読み込んでいたんです。詳しい内容はもう憶えてないんですけど、そのときに彼のスタンスのような部分は受け取って、ぼくの頭の中の遺伝子と組み合わさって、今はもはや別物になっている。
古賀 うんうん。
柿内 だけど細かく見ていくと、絶対あるんです。
加藤 なるほど。
柿内 だから人間というのは、やっぱりその文化的遺伝子の総合体としてあるんだな、というイメージを勝手に持っているんですね。だから今回の話でいうと、ぼくの頭には、岩田さんの遺伝子配列が入っちゃったから、読んだ以上は。
加藤 そうですね。
古賀 うん(笑)。
柿内 だから、岩田さんも入ってるし、ジョージ・ルーカスも入ってる。もちろんそれだけじゃなく、いろんな人のいろんな遺伝子が組み込まれていて。いってみればこれは、バトンを引き継ぐことに近いなと思うんです。
加藤 うん。
柿内 遺伝子を受け継いだ、一部だけ。ぜんぶの思想とかはわからないし、間違って解釈してるかもしれないけど、ぼくなりの遺伝子が頭の中に入って、なにかと結合して、これからのぼくに関わってくるだろうと思う。ジョージ・ルーカスがいなかったら、たぶん人生違ってるし。
古賀 本は、その引き継ぎに、なくてはならないもの。
柿内 そうですね。
永田 ……いや、そのとおりだと思います。ていうか、柿内さんの遺伝子論が良すぎる。うーん、だから、この対談が1時間くらい続いて、最後にそれを言ってくれたらばっちりなんですけど。
一同 (笑)
古賀 はやすぎる?(笑)
永田 はやすぎます(笑)。
柿内 まあ、だから、本というのは文化的な遺伝子をばらまくもので、そのあとの結合はコントロールできない、というのがぼくの世界観です。
加藤 そうは言うけど、柿内さんは本が出たあとも一所懸命やるじゃないですか。
柿内 やる以上は売りますよ。でも、コントロールしようとはしないんですよ。
加藤 ああ。
柿内 商売としてやる以上はがんばって売ります。それは書き手のために。
永田 その結果、思ったよりもうまくいくものもあるし、いかないものもあるし。
柿内 そこをコントロールしようとすると、逆算して「だったらこういうふうにしないといけない」とかなって、邪念が入ってきてつまんない。なんかその人の“ほんとうのなにか”が出ない。
永田 せっかくだから、みなさんとそのへんの話もしたいんですけど、“出す自分”と“広める自分”は別人ですか?
加藤 それは、そうなんじゃないですか。特に編集側は“自分”が入ったらダメですよね。まったくダメだと思います。
永田 と言うのは。
加藤 これをつくった自分がイケてると思われたい、的な。
柿内 自我。
加藤 自我はもうゼロでいいと思う。『岩田さん』読んでて、すごく思いましたよ。岩田さんってそうじゃないですか。もちろん人間だからゼロというわけないんだろうけど、極力、消費者とかプロダクトとか、あるいは会社のチームのみんなとか、そのことだけ考えるようにされてましたよね。
永田 そうですね。「自分が」というのは、ほんとにない人でした。
加藤 ですよね。それはけっこう重要な気がしますね。なかなかでも難しいんですけど。
古賀 編集者体質だったのかもね。
永田 そうかもしれないですね。特に宮本茂さんに対しては編集者的な立場だったと思います。
ライター:中川實穗(なかがわ・みほ) 写真:岡村健一(おかむら・けんいち)
次回は2月13日更新予定!
古賀史健(こが・ふみたけ) ライター、バトンズ代表取締役。出版社勤務を経て、ライター/編集者として独立。著書に『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(共著・岸見一郎)、『古賀史健がまとめた糸井重里のこと。』、『20歳の自分に受けさせたい文章講義』、構成を担当した本に『ゼロ』(堀江貴文 著)など多数。2014年には「ビジネス書大賞・審査員特別賞」受賞。
加藤貞顕(かとう・さだあき) 編集者、ピースオブケイク代表取締役CEO。アスキー、ダイヤモンド社にて編集者を務め『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』(岩崎夏海 著)、『ゼロ』(堀江貴文 著)などを手がける。2012年にコンテンツ配信サイト『cakes(ケイクス)』を、2014年にクリエイターとユーザーをつなぐウェブサービス『note(ノート)』を立ち上げた。
柿内芳文(かきうち・よしふみ) 編集者、株式会社STOKE代表。光文社、星海社、コルクにて編集者を務め、『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?~身近な疑問からはじめる会計学~』(山田真哉著)、『嫌われる勇気』(岸見一郎・古賀史健 共著)、『ゼロ』(堀江貴文 著)、『漫画 君たちはどう生きるか』(吉野源三郎 著・羽賀翔一 画)などを手がける。現在は独立。
永田泰大(ながた・やすひろ) ほぼ日刊イトイ新聞乗組員。さまざまなコンテンツやイベントを制作するほか、糸井重里のことばを集めた「小さいことば」シリーズなど、書籍づくりも手がける。