論破」の先に待ち受けるディストピア

議論をして相手の説を言い負かす「論破」。多様性と寛容の国マレーシアで暮らす野本響子さんは、相手を論破することで失われるものがあり、とくに家庭内では「絶対の正解」をもとに対峙するのは得策ではないといいます。いったいどういうことでしょうか?

Twitterでこんな写真が、話題になってました。

笑ってしまいましたが、実は考えさせられる投稿です。


みんなが大好きな正義のヒーロー

個人的に、日本とアメリカのコンテンツに共通すると思うのは、「正義のヒーローがいる」ってコトです。
小さい頃から正義のヒーローがいて、悪を倒す。
仮面ライダーにも、アンパンマンにもドラえもんにも、スーパーマンにも「悪」がいるわけです。
そして、男子も女子も、悪を叩くファンタジーを好む。

私が子どもの頃は、学校に「学級会」なるものがありました。そして、
「田中くんが、掃除をサボってました。いけないと思います!」
「山田くんが、遅刻しました! 反省してください」
みたいに糾弾する。

こうやって正義漢が作られていく。
私なんかは日本にいたとき、正義感が割と強いタイプで、よくぶつかっていたし、他人の遅刻なんて絶対許せないと思ってました。正義を発揮するときって、まあなんか気持ちいいんですよね。


正義漢が損をするとき

ところが、マレーシアに来てみると、正義漢が損をする場面が増えることに気付きました。
遅刻した業者やら、賄賂を要求する警察官なんかを糾弾しようとすると、自分が損する。

それどころか、正義の価値観がとても曖昧になってくる。
正解がない。

ベジタリアンな人たちがいて、「お肉食べないとダメでしょ」っていう私の「正論」は通じない。あれも正解、コレも正解です。

この国ではゲイは法律的に認められないし、映画はカットだらけで公開されたりするし、「ビキニを着てる外国人はいかがなものか」と言ってる人たちが新聞を賑わしていたりする。中国正月に犬の飾りを置くのが「良い」と考える人たちと、「犬は不浄だ」と思う人たちと両方がいる。

えーと、「正論」ってなんだっけ、となるのです。

この摩訶不思議な国で生き始めると、「ジャッジする人」が少ない。
他人を「ジャッジ」したり、「正解」にこだわったりするのをやめてみると、なんだか生きやすいことに気付いてしまった。ある程度はゆらゆら「妥協」するわけです。


論破するといろんなものが失われる
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怒らない力—マレーシアで教わったこと

野本響子

編集者・ライターの野本響子さんがマレーシアで暮らし始めて感じたのは、日本にくらべて驚くほど寛容なマレーシアの社会。「迷惑は掛け合うのが当たり前」「怒る人ほど損をする」など、日本人の常識からしたら驚くことばかり。 この連載では、そんなマ...もっと読む

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コメント

tsatie 此れは大事な事 3ヶ月前 replyretweetfavorite

muslim_shingai 「論破」出来るほど雄弁でない私への処方箋。 ····· |野本響子 @mahisan8181 |怒らない力ーーマレーシアで教わったこと https://t.co/cuzp150lY8 3ヶ月前 replyretweetfavorite

mananyan108 https://t.co/mpyP4Icqio 3ヶ月前 replyretweetfavorite

VoicefromSawara 『正義の鉄槌でやられた方がどう思うかと言うと、相手に復讐しようとする。その繰り返しです。 論破した側は勝利と共に、何かを失います。その「何か」は「信頼」だったり「愛情」だったり、ときには「安心感」だったりです。』 https://t.co/L1W1t10o9a 3ヶ月前 replyretweetfavorite