愛も憎しみも手放す
「子どもを殺したいと思う」と言うお母さんがいました。子どもは引き離され、3歳半で児童相談所に引き取られました。
そのお母さんの話をいろいろ聞いてみると、やはり自分自身が親に愛されなくて、虐待を受けて育っていました。だれにも愛されたことがないから、愛情というものがどういうものなのか、どう愛情をかけてあげたらいいかがわからなかったのです。子どもを産んだときにも、愛情の注ぎ方がわからない。泣いてばかりいるのが煩わしくて、殺してしまったら静かになる、と思った。それから十数年、そのお母さんは、相変わらず「殺したい」と言っています。「あの子は私を嫌っている、だから憎い」と言うのです。
それでいて、「子どもが私に会いたくないって言うんです。どうしたらいいですか?」と私に聞いてきます。敏感で賢い男の子らしいのですが、子どもの立場からすれば、自分を憎んでいて殺したいと思っているようなお母さんに会いたいわけがありません。
でも、お母さんは、ピンときていません。
「あなたが憎いという気持ちを持っていることが、子どもには伝わっているんですよ」と私は言いました。
「その子もあなたを憎いと思っているし、あなたもその子を愛せない。それはしょうがない。憎いという気持ちを持ったまま、自分自身をごまかして許そうとしても、そういう気持ちにはなかなかなれません。わだかまりがあるうちは、許そうとすればするほど許せなくなるのが人間の心理です。だから、憎いとかそういう気持ちを認めましょう。憎いとか殺したいとか思ってしまう自分を責めなくてもいい。自分はダメ人間だと思わなくていいんです。そして子どもさんに、『許してくれなくてもいい、だけど会いたいと思っている』という気持ちを伝えてみたらどうですか」
そう話しました。
私は以前、本に「自分を許しましょう」「そうすれば楽になる」と書いたことがありました。でも、「許せと先生は言うけれども、私は絶対に自分の親を許せません」と言う人がいました。
それはそうだよな、と考え込んでしまいました。では、どうしたらいいのでしょう。 「許す」は上から目線です。「自分が自分に対して許すということも、傲慢じゃないですか」と、ある人に言われて気がつきました。その人が教えてくれました。許さなくても許されているんです。誰から許されているのか。この宇宙です、と。
禅問答のようですが、つまり、いま、ここに存在しているのは、「宇宙から存在を許されている」からなのだ、ということなのです。それなら、なんとなく意味がわかります。そうか、許さなくてもいいのか、と合点がいきました。
すると、「許す」ということに縛られていた自分に気がつきました。
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