みなさんが抵抗を感じることのひとつに「偏り」があるのではないでしょうか。何となく「中立」というと、みんなと同じっぽいし、「正解」っぽいイメージがある。逆に「偏っている」というと、まあ大体悪口ですよね。
マンハイムという社会学者がいます。この人は、社会に対するどういう考え方も思想も、その人の立場とか時間に縛られてできているという「存在被拘束性」があることを示しました。それまでの科学はあらゆる立場を超越できる、何か他よりすぐれた地位にあるものだと考えられてきたのですが、マンハイムはそれを批判した(『イデオロギーとユートピア』、2006年)。どんな知識も、あくまで物事を捉える「見方」であって、どこかの立場からものを見ている以上、すべてを見通すことはできないということが、ここから言えると思います。
私はスイーツを食べるのが好きで、写真を撮ってSNSに載せるのも好きなんですけど、経験上、パフェを撮るのがとにかく難しいのです。高さや幅があると、全体像が掴みづらい絵になってしまう。複数人で食べる用のでかいパフェとかほんとうに最悪で、下手するとバナナだけの写真とかチョコレートとクリームが層になっているところだけの写真になってしまう。上から全体像を入れようとしたら、どれくらいの高さなのかわからない。高さがわかるように撮ろうとすれば、上に何が載っているのかわからない。社会に対する見方とはこのようなもので、だれがどう撮っても偏るし、全体像はわからないんです。
マンハイムの議論を踏まえると、大学であれ、カルチャーセンターであれ、どこで学ぶ知識も偏っていることには違いがない。そして、偏りなく社会の全体像を見られる社会科学の道具もありません。
そういう意味でも、もし「どこかに行きたい、でも、偏るのが怖い」という人には、マンハイムの考え方を知ったうえで、大学の知に触れてみることをおすすめします。社会はでかいパフェのようなもので、この人の切り取り方はパフェの上の部分とか側面とかを写したものなんだ、と思えば、「偏り」も怖くないでしょう。
もうひとつお伝えしたいことは、私たちはだいたい偏っているから、何もしないのが「中立」ではないということです。たとえば、選挙で投票する際に参考にできるツールのひとつに、各新聞社が提供している「ボートマッチ」というサービスがあります。いろんな政策に対して「賛成」「反対」を入力すれば、自分にもっとも政策の好みが近い政党を教えてくれるサービスです。これも学生さんたちに勧めると、「でも、特定の企業や組織が提供しているものでしょう。偏っていないんですか?」と言われたりします。この質問自体が、「中立」への強い欲求を反映していることがわかるでしょう。でも、そんなものどこにもないってこともまた、十分わかってもらえると思います。
何が正しいのかは、その都度、自分なりに考えるしかありません。自分にとっての「正しさ」はいろんな偏りを経たうえで自分で組み上げていくものでしかないわけです。でも正解がないなかで、自分なりの正しさを追求してみよう、と言われても難しいですよね。ですから、自分なりの正しさを組み上げるためのひとつのステップとして、多様な人々に会ったり、今まで知り合ったりした人々の他の面を知ってみながら、「正解がない」という事実に、まずは慣れてみましょう。そういった気持ちを込めて、ここでは「今まで行ったことのない場所に行く」という提案をしてみました。
もちろん、普段自分が受けているものと違う授業という意味では、塾や予備校の授業もいいきっかけになりますよね。さすがに他の学校の授業を受けに行くわけにはいかないでしょうが、もし高校や自治体がやっている公開講座があったら、そうした機会も利用していいのではないでしょうか。一度きりでも重要な機会になります。
「うちの地元に大学はねえよ」
でも、みんながみんなそんなに積極的でもないことも、よくわかります。自分もおとなしくて、自己肯定感の低い、いわゆる「陰キャ」(私の世代では「非リア」といいました)なほうなので、そういうところに行って自分が受け入れられる自信もないほうですし、高校時代の私にそんなことしろと言っても「絶対無理。怖いし」としか言わなかったでしょう。もっと言うと、大学での講演会とか、市民センターでのセミナーとか、基本的にはそこそこの人口規模のある都市だからこそ見つけられるものであって、「そもそもそんな都会に住んでないよ〜」という方もいらっしゃるはずです。車で送り迎えしてもらうのも大変でしょう(ちなみに「うちの地元に大学はねえよ」というこの小見出しは、私が友だちに言われたものです)。
そこで、そんなモジモジ系なあなたも、田舎住みのあなたも、もうすこしおとなしいやり方で「正解」から離れてみる方法を考えてみましょう。