伝え方が悪いと、話を聞く気になりません」にどう答える?

社会に対して「声をあげよう!」と思ったときに陥りがちな「つまずきポイント」を取り上げます。三つ目のつまずきポイントは、「わがまま」の表現の仕方について。主張の内容には同意するけれど、伝え方が悪いから聞く気にならない、という聞く側のつまずきや、あるコミュニティにいることで、表現がコミュニティ内に閉じてしまう、という言う側のつまずきについて考えます。(『みんなの「わがまま」入門』より)

つぎにお伝えするつまずきポイント3は、「わがまま」の表現の仕方です。じつはけっこう、日本社会では社会運動の表現を許容できない人が多い。

社会運動には路上で行われるものも多くありますが、なかなか激しいと言うか、普段、身近な人とのコミュニケーションで使わない表現もあります。具体例を出すのはあまり良くないかもしれませんが、「保育園落ちた日本死ね」とか、「国民なめんな」といった表現は、ちょっとドキッとしてしまうかもしれません。

過激な表現にひるまない

よく講義や講演の際に伺うご意見に、主張の内容には同意するけれど、デモの場で人々の言っていることが一方的で激しい表現に聞こえる、対話をする気がないように感じる、といったものがあります。

たとえば「国民なめんな」というプラカードを掲げて行進する人々をみて、「何を言っているのかわからないし迷惑だ」という気持ちになるのはわからなくもありません。私が友だちと話していても、なんでデモって「ああいう感じ」なの?もっとマイルドな表現じゃいけないの?と言われることもけっこうあります。

ここで、こういう言葉を使わざるをえない状況について、すこし考えてほしいと思います。さっき学んだように激しい言葉や表現に対してYESかNOかで捉えるのではなく、激しい言葉を使って批判する人の背景にある事情を考えてみましょう。

まず、デモの場で人々は「激しい言葉しか使えない」可能性があります。なんで政治家との交渉とか選挙での投票じゃなくてデモをやっているのかというと、それまで冷静に話しても聞いてもらえなかったからですよね。聞いてもらえないから激しい表現になる。これがひとつです。

たとえば、2016年に「保育園落ちた日本死ね」というブログが話題になって、それほど規模は大きくないのですが社会運動になり、実際に政府を動かしました。「死ね」ってなかなか過激な表現ですよね。でもおそらく、こうした表現を使わなければならないほど切羽詰まっていた。丁寧な表現では、同じ内容のことを言ってもだれにも聞いてもらえなかった。それで激しい言葉を使わざるをえなくなり、結果として多くの人の意識を変え、国を動かした。

もうひとつは「説明してよ」と言われても、うまく伝えられない怒りを表している場合。社会的に弱い立場になればなるほど、勉強の機会が与えられなかったり、理論立てて説明できないがゆえに、整理された言葉が使えず、過激な表現を使わざるをえない。

これはフェミニズムの文脈では「トーンポリシング」と言われる行為と関連しています。デモをやっている人や過激な主張をしている人に「わかりやすく説明してください」って言っちゃうことが、私もよくありました。でもわかりやすく説明することそのものが、ある種すごく限られた人、今の社会で「賢い」と評価される人のスキルなんです。だからそれをだれにも等しく求めることが、ある人にとってはすごく差別的に感じられてしまう。

このように、あえて強い批判の言葉を使わざるをえない場面、あるいは、使わざるをえない人々のことを知っておくと、「相手が何を言っているのかさっぱりわからない」と感じたときに、視点を変えてその背後にある構造的な問題を考えることができます。

さらに、以前もお伝えしましたが、過激な主張をしている人に対して「あいつらはうるさい、ネガティブなことしか言わないし、批判するだけで対案も出さないし」と言ってしまうと、「わがまま」のハードルそのものが上がっていく。こうした声が増えると、モヤモヤしていることがあって、それを生み出している人や物を批判したいけどできないなあ……と思っている人(私たち自身も含みます)が意見を言いにくい環境を、知らず知らずのうちにつくってしまう。

議論の種にするという意味で、いわゆる「理にかなっていない」ようなものでも意見は重要だし、意見のなかには、一見意味不明なものもあるかもしれない。それに対してもひとまず、私たちは耳を貸す必要があるし、対話をすることが大事です。

若い人だともうわからないかもしれませんが、一時期アニメや漫画のキャラクターを形容する際に「ツンデレ」という言葉が流行ったのです。好意を上手に伝えられなくて表面的にはツンツンしてしまうけど、本当はすごく好意を持っていて、限られたタイミングでデレデレするようなキャラを指すのですが。ある意味、政治的に激しい表現をする人たちって、社会をよくしたいという意味で愛がある。だからすごく「ツンデレ」的な一面があるのかもしれません。

「おうち語」化に気をつける

「わがまま」を聞く側だけでなく、「わがまま」を言う側にとっても表現はすごく難しい問題です。過激で強い言葉を使う人のなかにいると、だんだん過激な振る舞いを当然のものとして身につけて、知らず知らずのうちに自分たちの常識としてしまうことがあります。そして、次第に表現の幅が狭くなってしまう。

山本直樹さんの『レッド』(2007〜2014年)という漫画があります。これは1969年から1972年に行われた若い人たちの社会運動が、どんどん自分たちのコミュニティの内部に閉じこもってしまう過程を描いた漫画です。

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みんなの「わがまま」入門

富永京子

「権利を主張する」は自己中? 言っても何も変わらない? デモや政治への違和感から、校則や仕事へのモヤモヤまで、意見を言い、行動することへの「抵抗感」を、社会学の研究をもとにひもといていく、中高生に向けた5つの講義。身近な「わがまま...もっと読む

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コメント

flafumi https://t.co/C6gmfrjkBa 29日前 replyretweetfavorite

fujikokoni 非常に重要なことが書いてある。「何言ってるかわかんねーよ」は暴力だったんだ。したことも、受けたこともある・・・ @nomikaishiyouze | 29日前 replyretweetfavorite

acid_liquid_aid ンアアアア 29日前 replyretweetfavorite