残雪・都市論・旅行人

今回の「新・山形月報!」は、小説から都市論、そして旅行記までが紹介されています! 読書の秋にそなえて、読みたい本を探してみてはいかがでしょう? 取り上げられた本は、『かつて描かれたことのない境地』(平凡社)、コーマック・マッカーシー『チャイルド・オブ・ゴッド』(早川書房)、P・D・スミス『都市の誕生』(河出書房新社)、エドワード・グレイザー『都市は人類最高の発明である』(NTT出版)、蔵前仁一『あの日、僕は旅に出た』(幻冬舎)などです!

お元気でしょうか? またミャンマーに戻っておりますが、ヤンゴンは相変わらずの雨続き……と思ったら2週目からすばらしい天気になって、快適きわまりない。天気が悪いとついその場所の印象もネガティブになりがちだけれど、数日晴れの日が続いただけで雰囲気も印象もガラッと変わるのは不思議なもの。人間って現金なものです。

さて、前回の最後で、現代中国の異才作家である残雪の短編集が出た、という話をした。それが『かつて描かれたことのない境地』(平凡社)。ラオスから戻って即買いに出て、今回の飛行機の中でむさぼるように読んだことですよ。で……すばらしい。これまでこの連載で期待を込めて次回予告をした本はたいがい、その期待が高すぎることもあって失望させられてきたのだけれど、今回ばかりはちがった。

かつて描かれたことのない境地: 傑作短篇集 (残雪コレクション)
かつて描かれたことのない境地: 傑作短篇集 (残雪コレクション)

この残雪の小説というのはどれも、粗筋というものがあるわけではない。茫漠とした環境の中で、何事かは起こっているし、何かその人のこだわりというものもあるようなのに、でもそれがわからない。自分以外の人はなにやら知っているようで、陰謀に取り囲まれているようでもありつつ、でも一方では自分以外の人々も何も知らないようだったりもする。その薄ぼんやりした環境の中で、妙に具体的な何かがクローズアップされ—そしてどこかに飛び去ることもあれば、泥のように沈み消える場合もある。

訳者たちはこれを「夢の論理」と呼んでいて、まさにそうした雰囲気ではある。なぜだか知らないけれど心細く、不安で、でも後から考えれば明らかに変なことが起きても、そのときはまったく当然に思える。まったく関係ないはずのものがその夢の中では当然のように関連している。そして夢の非現実性を備えつつも、一方でそれは急激に都市化した中国における、因習と迷信と外部不信と悪意あるゴシップに充ち満ちた農村生活へのあこがれと嫌悪と不信と断絶と連続性が入り交じった感情のあらわれでもある。

その意味で、本書の—いや残雪の—作品はすべて、夢であり確固たる現実でもある。そうした不思議な雰囲気に浸りたい人は是非。彼女の作品はすべてこうした雰囲気に包まれていて、ある意味でどれを読んでも同じなのだけれど、でも同時に夢がすべてちがうように、どの作品もちがう。ぼくは表題作の「かつて描かれたことのない境地」で夢を記録する男の話と、そして「綿あめ」の、綿あめとそれを作る老婆に惹かれる少年の話が好きだ。なぜだろう。なんでもやたらに饒舌にして、物語的なカタルシスのある小説でないと楽しめない人は、ピンとこないかもしれない。でもそうでない人は是非手にとってほしい。残雪の他の小説はもう軒並み絶版だし図書館もあるところは限られるので、買って手元に置いておくのを推奨。

そして今回は小説の当たり月。もう1つ必読の小説が出た。コーマック・マッカーシー『チャイルド・オブ・ゴッド』(早川書房)。ぼくはなぜかマッカーシーは『すべての美しい馬』(ハヤカワepi文庫)でデビューしたように思っていたので、本書がそれ以前の1970年代に書かれた小説だと聞いてびっくりした。初期の作品とはいえ、完全にマッカーシーの特徴は出揃っている。内面描写はまったくない。淡々と、具体的な行動と発言だけで話が進む。そして、その進む話は……。

チャイルド・オブ・ゴッド
チャイルド・オブ・ゴッド

マッカーシーの小説も、粗筋を述べたところであまり意味はない。この小説も、あるちょっとした障害を持つ男をめぐるエピソード集とでも言おうか。その障害のきっかけ、覗き趣味、周囲から次第に疎外される様子、それがだんだんエスカレートして孤立、逃亡、連続殺人と屍姦へとエスカレートする。一方でそれを取り巻く環境もそれに匹敵するほど暴力的。それが本当に淡々と描き出される。

そこには因果律もない。人の「思い」とかいうインチキなフィクションもない。具体的な事実があるだけ。それを非難することもできない。したところで、それに意味はない。起こることは起こる。人はそれを受け入れるしかない—それがマッカーシーのあらゆる作品と同様にひしひしと伝わってくる。

強いて言うなら……いまのコーマック・マッカーシーに比べると、確かにちょっと劣る。文体のストイシズムと、登場人物のストイシズムとが融合した最近の作品に比べると、殺人鬼という書きやすい主題を選んで、作品がその事件の持つドラマ性によりかかってしまっていると言えなくはない。それでも名作。この人は名作しか書けないんじゃないかと思うくらい。未訳の他の作品も読もうかなあ。ジェームズ・「ゴブリン」・フランコが映画化したそうだが、どうかな。でもテーマ的には『ザ・ロード』より映画向きかもしれない。

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新・山形月報!

山形浩生

経済、文学、コンピュータなどの多方面で八面六臂の活躍をする山形浩生さん。その山形さんが月に一度、読んだ本、気になる現象について読者にお届けする密度の濃いレポートです。

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コメント

RiceDavit 山形浩生もコーマック・マッカーシーを褒めていたのか。これはさっき検索して初めて知った。 https://t.co/fYcXMdptFJ https://t.co/askGDu46GF https://t.co/qRRyAd02As 1年以上前 replyretweetfavorite

p0tt0m ぎゃー!残雪がこの1年で2冊も翻訳が出てたなんて知らなんだヨ! |新・山形月報! https://t.co/ysem4iglzV 「この残雪の小説というのはどれも、粗筋というものがあるわけではない」いや、あるものはある。『黄泥街』は公害で崩壊する街の話しだし。 約4年前 replyretweetfavorite

asahipress_2hen 「急激に都市化した中国における、因習と迷信と外部不信と悪意あるゴシップに充ち満ちた農村生活へのあこがれと嫌悪と不信と断絶と連続性が入り交じった感情のあらわれでもある」『かつて描かれたことのない境地』について。山形浩生氏 https://t.co/kPM5bSh7Vw 4年以上前 replyretweetfavorite