先日、除夜の鐘が中止になったことを書いたのですが、「寛容さ」はこれからの社会の大きなポイントになるかもしれません。
さて、「寛容な国」として語られることも多いマレーシア。イスラムの国に、キリスト教徒やヒンズー教徒、仏教徒が住んで、お互いのクリスマスやディパバリなんかをお祝いしています。ある程度寛容でないと、やっていけません。
ところが、マレーシア人に寛容さについて聞くと、「マレーシア人は寛容ではない。合理的なだけ」という答えが返ってくることがあります。
マレーシアは移住先として人気のある国です。物価は安いし、住環境も良い。マレーシアに住みたがる外国人は多いのです。
しかし魅力はそれだけではないと、先日会ったとある華人の友人が言っていました。
例えば、マレーシアの前政権は汚職で糾弾されました。当時、政権に対して怒っている人が多数いました。デモも数多く起きました。
「でも、政治家に対して石を投げたりする人、マレーシアでは少なかったでしょう? ゼロとは言わないけど、他国に比べたら少ない。なぜだと思う?」
「私たちは、とても合理的に判断する。石を投げたり、ある民族についての排斥運動なんかしてたら、人々は安心して住めない。観光客には敬遠され、人が寄り付かなくなり、経済が停滞する。そしたら、困るのは自分たちでしょ。良い生活ができて、楽しく暮らせるのはどちらか?と判断する人が多い」
と。
これを聞いて私は驚いたのです。
同じ話、複数の華人から聞かされてきました。
つまり、長い目で見たときの「自分の得」を考えたら、怒りを発散することで得られるものは少ないでしょう、と。
政権交代の夜に「冷静になろう」と呼びかける人々
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