キスをしない人とは付き合えない

小説家の森美樹さんが自分自身の経験を交えながら、性を追及し、迷走する日々を綴るこの連載。今回のテーマは「キス」です。「セックスよりも、キスをしなくなったら関係性はもう終わり」という言葉から、改めてキスという行為について考えていきます。

以前、某音楽プロデューサーが著書で「セックスよりも、キスをしなくなったら関係性はもう終わり」みたいなことを語っていた。当時私はまだ若くて恋愛経験も少なかったが、至極納得した。

「よだれ」から「食べたい」に変化したキスへのイメージ

ちなみに私のファーストキスは4歳で、相手は近所に住む幼なじみの男の子だった。確かに仲はよかったのだが、キス自体は周囲の小学生に冷やかされてやった感じで、特に感慨深くはない。相手の唇が唾液(よだれ?)まみれだったな、という感想だけだ。当時は、なんで大人はこんなことをしたがるのだろう、と不思議に思っていた。最近では某文化人が、「キスなんて菌の交換に過ぎない」というような発言をした。まあ、だから衛生面を考えれば美しい行為ではない(衛生面レベルで言えばセックスも同じ)。

ていうか肉欲につながる行為はすべて美しくはない。セックスだって様々な体位があるけれど、どれもこれも知恵の輪グッズみたいな絡みだし(どこに局部があるでしょうか? さあ、はずしてみよう! みたいな)、もっとも現実味を帯びた正常位だって「カエル」だろう。初めて正常位の図解を見た時、あるいは初体験のさい、カエルの印象を持たなかった人っているのでしょうか?

それはそれとして、私のキスへのイメージは「よだれ」から「食べたい」に変化した。いつからそうなったかといえば、やはり人を好きになってからだろう。「食べちゃいたいくらい好き」という言葉があるように、人は誰かを好きになると「食べたい」衝動にかられる。中には本当に食べてしまって法に裁かれる人も存在するのだ。それほどのパワーを持つキス=食べたいエネルギー。ある意味、セックスよりも強力だ。

性欲には紆余曲折があるけれど

風俗などでも、「セックスは可だけどキスは不可」という女性(男性も?)が存在する。セフレという関係があっても、キスフレという関係は、おそらくない。肉体面のダメージや危険性はセックスのほうが高いのに、内面的なダメージはきっとキスのほうが高い。むりやりセックスされた、よりも、むりやりキスされた、ほうが心に泥を塗られた気になるのではないか。勿論、どちらも絶対にしてはいけないし、傷は根深いに決まっているのだが。

キスだけで感じることもあるけれど、セックスのほうがダイレクトに感じるし、感じ方のふり幅も大きい。でも、時と場合によっては、1回のセックスより1回のキスが上位にくる。

なぜだろうか。「食べたい」衝動は、生まれたままの無垢な本能からきているからだ。性欲って成長とともに育ち、萎えたり復活したりの紆余曲折があるけれど、食欲って生まれた時からある。食欲と睡眠欲って、原始なのだ。だから、キスしたい相手って穢れのない心で好きってことなのかな、と思ったりする。それが永続的でなくて、瞬間的だとしても。「今、したいから、ついしちゃった」という素直な感覚。「今、食べたかったんだな」とわかると、本当にうれしい。

エレベーターの中でいきなりキスされて

私自身、行きがかり上セックスしてしまってすぐ好きになったことはないけれど、行きがかり上キスされてしまってすぐ好きになった経験はある。

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アラフィフ作家の迷走性活

森美樹

小説家の森美樹さんは、取材や趣味の場で、性のプロフェッショナルや性への探究心が強い方からさまざまな話を聞くのだそう。森さん自身も20代の頃から性的な縁に事欠かない人生でした。47歳の今、自分自身の経験を交えながら、性を追及し、迷走する...もっと読む

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