ようやく三重津が見えてきた時は、大隈のみならず、付き従ってきた者たちの間に安堵のため息が広がった。
ところが閑叟は田中と意気投合したらしく、二人で何やら歓談している。その後方で佐野がほっとしたような顔で佇んでいる。
——佐野殿は晴れの舞台を田中老人に奪われたな。
佐賀藩一の英才と謳われた佐野が、からくり人形作りの老人に主役の座を奪われたことが、大隈には痛快だった。
——これからは年齢や身分ではないのだ。
その時、閑叟が振り向くと突然、「大隈」と呼んだ。
「あっ、はい」と答えて大隈が駆けつける。
「どうした顔色が悪いぞ」
「はい。此度は少し波が高かったので、ちと船酔いしました」
「そなたは酒だけではなく、船にも酔うのか」
閑叟の戯れ言に笑い声を上げられたのは、田中だけだった。
「どうだ。わしの蒸気船は外洋を航海したぞ。おそらくこの国で初めてのことだ」
薩摩藩は安政二年(一八五五)に日本初の蒸気船となる雲行丸を造船していたが、湾内の輸送用に使うのが精いっぱいで、蒸気罐の故障や漏れが頻繁に起こり、とても外洋での航行に耐えられるものではなかった。そのため日本初の実用的な蒸気船は、佐賀藩の凌風丸になる。
「あっ、そうでした。おめでとうございます」
誰もがそのことを忘れていたので、周囲から口々に祝いの言葉が相次いだ。
「大隈、そなたはかような蒸気船を売ってこい」
「えっ、もうそんな話になっているんですか」
「ああ、儀右衛門が設備さえあれば大量に造れると申すのでな。のう儀右衛門」
「へい。からくりは、同じものがいくつも造れなければ値打ちがありません」
——そういうものなのか。
大隈は目を見開かされる思いだった。
「蒸気罐だけだったら、船まで造らずに売りに行けるだろう」
田中が嗄れ声で答える。
「へい。でも西洋式の造船技術を持つ藩は少ないので、当面は船ごと売らねばなりません」
閑叟は手離れをよくするため、蒸気罐だけでも売ろうとしていた。
「そのうち三重津の海軍所そのものも売れる」
大隈には何のことやら分からない。
「どういうことですか」
「海軍所の設備そのものを売るのだ」
閑叟が大笑いする。
——なんと、そこまで考えておられたか。
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