そなたら若者が未来の扉を押し開くのだ」|疾風怒濤(七) 3

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚!
早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男は
どのような人物だったのか?
幕末の佐賀藩に生まれ、
明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への道筋を切り拓いた男の思想と生涯とは。
青年期から最晩年まで、
「走る人」「闘う人」「創る人」「聞く人」として駆け抜けた、
令和版大隈像をお楽しみください。

 ようやく三重津が見えてきた時は、大隈のみならず、付き従ってきた者たちの間に安堵のため息が広がった。

 ところが閑叟は田中と意気投合したらしく、二人で何やら歓談している。その後方で佐野がほっとしたような顔で佇んでいる。

 —佐野殿は晴れの舞台を田中老人に奪われたな。

 佐賀藩一の英才と謳われた佐野が、からくり人形作りの老人に主役の座を奪われたことが、大隈には痛快だった。

 —これからは年齢や身分ではないのだ。

 その時、閑叟が振り向くと突然、「大隈」と呼んだ。

「あっ、はい」と答えて大隈が駆けつける。

「どうした顔色が悪いぞ」

「はい。此度は少し波が高かったので、ちと船酔いしました」

「そなたは酒だけではなく、船にも酔うのか」

 閑叟の戯れ言に笑い声を上げられたのは、田中だけだった。

「どうだ。わしの蒸気船は外洋を航海したぞ。おそらくこの国で初めてのことだ」

 薩摩藩は安政二年(一八五五)に日本初の蒸気船となる雲行丸を造船していたが、湾内の輸送用に使うのが精いっぱいで、蒸気罐の故障や漏れが頻繁に起こり、とても外洋での航行に耐えられるものではなかった。そのため日本初の実用的な蒸気船は、佐賀藩の凌風丸になる。

「あっ、そうでした。おめでとうございます」

 誰もがそのことを忘れていたので、周囲から口々に祝いの言葉が相次いだ。

「大隈、そなたはかような蒸気船を売ってこい」

「えっ、もうそんな話になっているんですか」

「ああ、儀右衛門が設備さえあれば大量に造れると申すのでな。のう儀右衛門」

「へい。からくりは、同じものがいくつも造れなければ値打ちがありません」

 —そういうものなのか。

 大隈は目を見開かされる思いだった。

「蒸気罐だけだったら、船まで造らずに売りに行けるだろう」

 田中が嗄れ声で答える。

「へい。でも西洋式の造船技術を持つ藩は少ないので、当面は船ごと売らねばなりません」

 閑叟は手離れをよくするため、蒸気罐だけでも売ろうとしていた。

「そのうち三重津の海軍所そのものも売れる」

 大隈には何のことやら分からない。

「どういうことですか」

「海軍所の設備そのものを売るのだ」

 閑叟が大笑いする。

 —なんと、そこまで考えておられたか。

この続きは有料会員登録をすると
読むことができます。
cakes会員の方はここからログイン

1週間無料のお試し購読する

cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。

人気の連載

おすすめ記事

コルク

この連載について

初回を読む
威風堂々 幕末佐賀風雲録

伊東潤

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚! 早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男は どのような人物だったのか? 幕末の佐賀藩に生まれ、 明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への...もっと読む

この連載の人気記事

関連記事

関連キーワード

コメント

maito0405 脱藩すら考えていた大隈の閉塞感を日書いた閑叟様!お金に苦労したからこその商業構想もこの回の見どころ 7ヶ月前 replyretweetfavorite