大切なのは行きたいという意志だ」|疾風怒濤(六) 1

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚!
早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男は
どのような人物だったのか?
幕末の佐賀藩に生まれ、
明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への道筋を切り拓いた男の思想と生涯とは。
青年期から最晩年まで、
「走る人」「闘う人」「創る人」「聞く人」として駆け抜けた、
令和版大隈像をお楽しみください。

 五月、閑叟が長崎にやってきた。このところ閑叟は胃の調子が悪く、柄崎(武雄)温泉で湯治していたが、いっこうによくならず、西洋医学に頼ることにしたのだ。

 長崎五島町にある藩邸の一つ(深堀屋敷)で、蘭医ボードウィンの往診を受けた閑叟は、ボードウィンの処方した薬がよかったのか、次第に元気を取り戻していった。

 そうなれば動き出したくなるのが閑叟である。

 突然、「せっかく長崎に来たのだから、グラバーに会いたい」と閑叟が側近に漏らしたことで、すぐにグラバーに連絡が取られ、面談の段取りがつけられた。この時の通詞には大隈が指名された。

 グラバーとはト―マス・ブレーク・グラバーというスコットランド人で、長崎在住の商人たちの中でも、ひときわ大きな存在だった。

 安政六年(一八五九)、開港後間もない長崎にジャーディン・マセソン商会の駐在員として来日したグラバーは、すぐに独立してグラバー商会を設立、当初は生糸と茶の輸出を行っていたが、ここ数年は武器の輸入に力を入れ、巨万の富を築いていた。

 グラバー邸に着くと、使用人たちが左右に列を成して閑叟を迎えてくれた。表口の前で待っていたグラバーは満面に笑みをたたえて閑叟を迎え入れた。もちろん二人は旧知である。

 会談は和やかな雰囲気で進んだ。グラバーは閑叟がいかに上客か知っており、終始笑みを絶やさず、佐賀の人材や文物の素晴らしさを語った。それは大隈が訳すのをためらうほどで、褒めるとなったら褒め尽くす西洋商人の徹底ぶりに、大隈は学ぶものがあった。

 閑叟とて親交を深めるためだけにグラバーに会いに来たわけではない。そこで商談となり、九ポンドのアームストロング砲二門と六ポンドの同砲一門を買い付けた。

 するとグラバーが言った。

「軍艦はどうですか」

 閑叟が「今はまだ結構です」と答えると、グラバーは「では、見るだけでも」と粘る。

 グラバーによると、ちょうど懇意にしている艦長の軍艦が長崎港に入っており、見学したいなら段取りをつけると言う。閑叟の答えは、もちろん「では、頼みます」だった。

 早速、使者が走り、見学の段取りがつけられた。

 グラバーの馬車が表口の前に着けられると、閑叟が大隈を手招きした。

 —こいつは参った。

 そう思いつつも、通詞役の大隈には断ることなどできない。大隈は二人に向き合う形で座り、港まで一緒に行った。

 港に着くと、英国人水夫たちが整列して待っていた。グラバーは艦長と抱き合うようにして旧交を温めた後、艦長を閑叟に紹介した。艦長は閑叟に「サー」という尊称を使い、閑叟が見学に来てくれたことは「最上級の栄誉」であるとまで言った。

 大型船は沖に停泊しているので、そこまで小舟で行くと縄梯子しかない。だが閑叟は側近が押しとどめるのも聞かず、縄梯子を伝っていった。大隈もそれに続く。

 艦上に上がった閑叟は艦長の説明を聞き、次第に質問までするようになった。

「この砲は、どれくらいの射程があるのか」

 艦長が答える。

「この船は十六センチクルップ砲を二十基ほど備えています。クルップ砲は後装式の施条砲なので、有効射程距離としては三千五百から四千メートルほどになります」

 大隈はそれを日本の尺に換算して伝えたが、すでにメートル法に慣れている閑叟には、その必要がない。

「円弾ではないのだな」

「はい。尖頭弾です。砲の内側に入れられた螺旋状の溝によって回転力が与えられ、長い射程が得られます」

 閑叟の質問に艦長が砲弾を見せる。

「これは面白い形をしているな。何という名だ」

 —どう訳す。実は大隈は尖頭弾という言葉の意味が分からなかった。

 致し方なく大隈は、その形状から思いつきで日本語に訳した。

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威風堂々 幕末佐賀風雲録

伊東潤

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚! 早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男は どのような人物だったのか? 幕末の佐賀藩に生まれ、 明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への...もっと読む

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