「そうでしたか。それがしでよろしいので——」
呼び出されておいて「それがしでよろしいので」はないと思ったが、大隈の摑んだ情報によると、坂本には勝海舟から西郷隆盛まで妙に人脈が広く、軽視できないところがある。ちなみに坂本は、大隈より二つ年上になる。
「いや、逆に大隈さんに来ていただき、よかった思うちょる。何かの間違いでお偉いさんにでも来られたら、話が進まんと思うちな」
「それがしで進められる話ならいいんですが」
「ああ、適役じゃち思うぜよ」
「で、どのような御用で」
どうも坂本という男を相手にすると、相手の調子に飲まれてしまう。
「坂本さん」と慶が言う。
「私がいたらお邪魔でしょう」
「ああ、そうじゃな」
慶がため息をつく。
「人の店に来て昼寝をして、客人が来たら出ていけというのが、この人なんですよ」
だが慶が坂本に注ぐ眼差しには、親愛の情が籠もっていた。
「わりい、わりい。この埋め合わせは次にするぜよ」
慶が出ていくと、坂本が身を乗り出した。
「で、用件な」
「は、はい」
気圧されつつも大隈がうなずく。
「何やら貴藩では、蒸気で動く軍艦を造っていると聞いたんじゃが」
「いや、それは——」
坂本の早耳に、大隈は驚かされた。
三重津海軍所の佐野常民らが中心となり、自製の蒸気機関で動く軍艦を建造しているという話は、大隈も聞いていた。とくに箝口令が布かれている話でもないが、他藩士や浪人にみだりに話すことでもないと、大隈は思っていた。
「ぜんぶ知っとるぜよ。そげんなでかいもん造っとったら、どっからかばれるち」
——この男には敵わん。
大隈は覚悟を決めた。
「仰せの通りです。それでわが藩の蒸気船がどうかしましたか」
「完成したら貸してくれんかの」
「えっ」
大隈が茫然とする。
「きちんと借り賃は払う」
「いや、突然さようなことを言われても——」
「まずは聞いちくれ」
ほかに誰もいないにもかかわらず、坂本が大隈の肩を摑むと手前に引き寄せる。
「貴藩は蒸気機関の製造では一日の長がある。じゃから最初の船をわしらが使い、国中乗り回せば、諸藩の者たちが目を見張る。そいから大量に蒸気船を造れば注文が殺到する。そいをわしらが売りさばいちゃる」
——なるほどな。
大隈は啞然として言葉も出なかったが、かろうじて一つだけ問うた。
「わしらと言っても、坂本さんは脱藩の身では」
「そうじゃ。そいじゃきカンパニーを作る」
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