その御仁が、佐賀藩の要職にある方と会いたいと仰せなんです」|疾風怒濤(五) 1

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚!
早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男は
どのような人物だったのか?
幕末の佐賀藩に生まれ、
明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への道筋を切り拓いた男の思想と生涯とは。
青年期から最晩年まで、
「走る人」「闘う人」「創る人」「聞く人」として駆け抜けた、
令和版大隈像をお楽しみください。

 慶応元年、京都での政治的な混乱をよそに、大隈は相も変わらず長崎にいた。大隈としては「佐賀藩が藩を挙げて国政改革に乗り出すなら陣頭に立つ」つもりでいたが、閑叟はなかなか動かない。それなら商売に専心し、いざという時に備え、海外の知識を収集しておくに越したことはないと考えていた。

 それにしても佐賀藩の動きは鈍い。中央で新たな政治的枠組みができてしまえば、佐賀藩は取り残されることになる。その時こそ枝吉神陽が憂慮していた事態が現実のものとなる。それを防ぐには、大隈のような草莽の士でも新体制に何らかの貢献をせねばならない。大隈の脳裏に「脱藩」の二文字が明滅し始めていた。

 四月、大隈は油屋町に向かっていた。ある女商人から呼び出しを受けたのだ。

 —大浦慶か。

 大浦慶とは、日本茶の輸出によって一代で巨万の富を築き上げた女傑のことだ。佐賀藩領嬉野産の茶を海外へと販売してもらう窓口の一つが、大浦屋だったので、大隈は面識があった。

 —ここが大浦屋か。さすがに大きな店構えだな。

 間口十間(約十八メートル)はある店に入り、手代に取り継ぎを頼むと、すぐに奥へと案内してくれた。

「ここでお待ち下さい」と言って大隈を広い部屋に案内すると、手代は去っていった。

 その部屋の中央には中国風の卓子があり、笠木や背板に見事な象眼が施された四つの曲彔が並べられていた。部屋の四囲には奇妙な置物や地球儀が置かれ、壁には世界地図とおぼしきモチーフのタペストリーが飾られている。

 その落ち着きのない部屋は、いかにも世界を股に掛けた商人が好みそうなものだった。

 小半刻ほど待たされていると、「お待たせしました」と言いながら、慶が現れた。

 慶は藍染めの着流し姿で、裾の部分に青波と海燕を基調とした文様をあしらった小袖を着ていた。その肩には縮緬模様の薄地の半纏が掛けられているので、いかにも小粋に見える。

「お久しぶりです」と言いながら慶が愛想笑いをする。

 大隈も「その節は世話になった」と返す。

 金唐革の煙草入れを取り出した慶は、銀煙管に細刻みを詰めると、左腕をまくるように出して煙草を吸い始めた。その腕の白さが眩しい。

 —年の頃は三十代後半だったな。

 その熟れ切った女の艶やかさに、遊び慣れた大隈でさえくらくらする。

「どうかされましたか」

「いえ」と答えつつ、大隈は商いの話題に持っていった。

「嬉野茶を西洋人たちに紹介いただき、心から感謝しておる」

「嬉野茶は九州産の茶の中でも絶品ですから、外国人たちに好まれます。うちの等級付けでも上のさらに上の特上ですから、売り値がいくらでも買い手が現れます」

 煙管を弄びながら、慶が「ほほほほ」と笑う。

「お宅には最優先で茶を回しておるが、とても産地が追いついていけぬ。茶畑を広げているので、来年からは収穫も増えるとは思うのだが—」

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威風堂々 幕末佐賀風雲録

伊東潤

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚! 早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男は どのような人物だったのか? 幕末の佐賀藩に生まれ、 明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への...もっと読む

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