佐賀藩の、いやこの国の未来が掛かっている」|疾風怒濤(四) 1

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚!
早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男は
どのような人物だったのか?
幕末の佐賀藩に生まれ、
明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への道筋を切り拓いた男の思想と生涯とは。
青年期から最晩年まで、
「走る人」「闘う人」「創る人」「聞く人」として駆け抜けた、
令和版大隈像をお楽しみください。

 閑叟の隠居所「神野のお茶屋」は佐賀城の北西半里ほどにある。ここには多布瀬川から水を引いた池泉回遊式庭園が付属しており、極めて心地よい空間となっていた。

 とくに「隔林亭」という名の茶屋は閑叟に愛され、外部の賓客を迎えた時などに、しばしば使われていた。それゆえこの隠居所全体が、通称「神野のお茶屋」と呼ばれていた。

「隔林亭」は池中の小島のようになっており、南からの一本道でしか渡れない。閑叟は朝餉を済ませると、庭園を散歩するのを日課としていた。その時、必ずお気に入りの「隔林亭」に立ち寄り、張り出しのようになった月見台から四季折々の風景を眺めるという。

 八月、副島によって藩内の周旋がうまくいった大隈は、「隔林亭」の付近で拝跪して閑叟を待っていた。

 砂利を踏む音が聞こえると、生け垣の向こうから、閑叟一行らしき者たちの歓談する声が聞こえてきた。

 図太さでは人後に落ちない大隈も、何の約束もなく一人で閑叟に相見えるのは緊張する。しかも意見を言うのだ。背筋に冷や汗が流れる。

 次の瞬間、砂利を踏む音が止まると、「おっ」という閑叟の声が聞こえた。

「何奴!」

 近習が閑叟を守るように前に出る。

「この不届き者め。ここをどこだと心得る。名を名乗れ!」

「はっ、長崎御用役の大隈八太郎に候!」

「大隈だと—」

 近習が顔をのぞき込む。

「はい—」

 大隈が顔を上げると、かつて弘道館の寄宿舎で机を並べていた広澤達之進がいた。

「なんだ、あの大隈か」

 広澤は一瞬、渋い顔をすると、踵を返して閑叟の元に戻り、拝跪して報告した。

「ああ、大隈八太郎なら、わしも知っておる」

 閑叟の声が聞こえる。

 広澤が大隈の近くにやってきて耳元で問う。

「こんなに早くから何用だ」

「ご老公に献言したい」

「馬鹿を申すな。さようなことなら、しかるべき上役を通し—」

「そんなことをしている暇はない。佐賀藩の、いやこの国の未来が掛かっている」

 広澤は呆れたような顔をした。

「そなたは、今でもさようなことを言っておるのか」

「ああ、後で斬られても構わぬから、まずは取り次げ」

「仕方ない。しばし待て」

 広澤が戻って閑叟に耳打ちする。それを聞いてうなずいた閑叟が言った。

「分かった。中で茶でも喫しながら話を聞こう」

 背後に控える近習たちはその言葉を聞き、四方に散っていった。


 その簡素な四畳半茶室で茶を点てているのは、何と閑叟だった。かすかに聞こえる茶釜の湯の沸き立つ音の前で、大隈は体を強張らせていた。

「身に余る光栄です」

「武士の嗜みだ」

 閑叟の言葉は常に短い。

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威風堂々 幕末佐賀風雲録

伊東潤

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚! 早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男は どのような人物だったのか? 幕末の佐賀藩に生まれ、 明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への...もっと読む

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