二
元治元年(一八六四)二月、参預会議は呆気ない幕切れを迎える。中川宮を前にして、泥酔した慶喜が島津久光、松平春嶽、伊達宗城の三人を指し、「この三人は大愚物、大奸物」と罵ったからだ。怒った三人は帰国し、参預会議は空中分解した。かくして改元成ったばかりの元治元年は、波乱含みで始まった。
三月には水戸藩尊攘派の天狗党が筑波山で決起し、徳川家のお膝元の関東でも動乱の火の手が上がった。長州藩尊攘派が巻き返しを画策しているという噂も流れ、国内は不穏な空気に包まれつつあった。
その頃、大隈は佐賀藩の貿易事業の確立に邁進していた。
風が収まってきた。先ほどまで重そうな黒雲が立ち込めていた空も、はるか彼方では雲間から日が差している。
「大隈さんは目がいいですか」
北風家の主人の正造が、唐突に問うてきた。
「ああ、人よりはいいようだ」
「では、あれが見えますね」
「あれとは——、ああ、あれは船団か」
「はい」と答えながら、正造が望遠鏡を渡してきた。
大隈がそれをのぞくと、船団が見えた。
——あれが交易の相手か。
はるか彼方に見えていた黒点は、望遠鏡を通して見ると、船の形をしていると分かる。
「そろそろやってきます」
正造が後方の舵取りに何かを指示すると、船の舳先は船団の方に向いた。
後方には五島列島が見えているので、日本近海なのは間違いない。周囲には多くの漁船が見えるが、北風家の弁財船に近づく漁船はない。
「ついこの前までは、われわれも鰹船などの漁船で来ていたんですが、こうした抜け荷(密貿易)を長崎奉行所が見て見ぬふりをしてくれるようになったので、今は弁財船を堂々と連ねてやってきています」
背中に「北」と大書された半纏をまとった正造が笑う。大隈も同じ半纏を着せられ、北風家の手代に化けている。
「て、ことは鼻薬を嗅がせているのかい」
「そこは蛇の道は蛇ってことですよ」
正造がうまくはぐらかす。
安政の五カ国条約の締結以後、幕府は諸藩に諸外国との交易を許したが、いまだ密貿易は禁じていた。だがそれは建前で、長崎や松前といった地方では黙認されるようになっていた。
「奉行所は見て見ぬふりってことかい」
「ええ、抜け荷を禁じたところで、幕府にとって何の得もないと分かったからです。例えば徳川家の縁戚に連なる方々や大名衆でさえ、内密に朝鮮人参を買い入れ、病人に飲ませていると聞きます」
江戸幕府の全盛時から鎖国なるものが実際には存在していないことを、大隈は知っていた。
江戸幕府は交易のできる相手をオランダと中国だけに限り、幕府の管理する長崎だけで行うことにしていたが、実際は長崎のほかに、朝鮮との対馬、琉球との薩摩、アイヌやロシアとの松前(蝦夷地)の四カ所の窓口が開かれていた。
これだけ開いていれば、鎖国とは言い難い。
「それで諸外国との通商条約の締結後、諸藩はこぞって開港場に商社を作り、交易を始めたってわけか」
「はい。そうなれば抜け荷を取り締まることなんてできやしませんよ」
正造が進行風に抗うように笑う。
「商人というのは、抜け目がないものだな」
正造が弁解がましく言う。
「うちなんてまっとうな方ですよ。中にはもっと派手にやらかしている商人もいます」
——幕府のたがが緩み始めているんだな。
正造の話からも、それは実感できる。
——つまり、そこには英語で言うチャンスがあるということだ。
武士だからといって何かをしてはいけないという時代ではないと、大隈は感じていた。
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。