スカイツリーのないパラレルワールド・墨田区Y町
柳瀬博一(以下、柳瀬) 今回の三浦さんの新作は、有田国政(政)と堀源二郎(源)という正反対の性格を持つおじいさんコンビが、下町を舞台に活躍する物語です。この小説の構想はどこから浮かんだんですか?
三浦しをん(以下、三浦) 編集者さんから「おじいさん二人の話はどうですか」というオファーをいただいて、それはいいなあ、と思ったところからですね。
柳瀬 「じじい二人」ありきだったんですね(笑)。源は「つまみ
三浦 二人のうちひとりは、職人さんがいいなと思ったんです。昔気質の職人さんで破天荒な性格なんだけれど、ちまちまと繊細できれいな細工をつくっている人がいいと思って、江戸の伝統工芸について調べました。そうしたら、小さな絹の布切れをピンセットでつまんで作る「つまみ簪」に行き当たったんです。
柳瀬 取材は綿密にされたんですか?
三浦 いえ、今回は取材をしていなくて。今わりと、つまみの技法でアクセサリーをつくっている若い方がいらっしゃるんですよ。そういう人向けに、写真つきのつまみのアクセサリー本がけっこう出ているのでそれを見て、あとは想像で埋めていきました。
柳瀬 そうだったんですか。三浦さんって、取材される際は頻繁に現地に出向くじゃないですか。今回も、描写が堂に入っていたので、てっきりそうなのかと思っていました。
三浦 そうですね、つまみ簪をつくることを作品の主たるテーマとして据えていたら相当調べますけど、今回の話はそうではないので。そのぶん、メインのところに注力したかったんですよね。
柳瀬 昔、村上春樹さんもエッセイで書いていましたね。『1973年のピンボール』で「すぐにラジエーターが故障するフォルクス・ワーゲン」というフレーズを入れたら、読者から「フォルクス・ワーゲンは空冷エンジンなので、ラジエーターはありません」というツッコミが入った。でも、村上さんは、「作品世界のなかでは、ビートルにラジエーターが存在すると考えてほしい」と反論されていました。それを思い出しました(笑)。
三浦 私もそのエッセイ覚えてます(笑)! とても印象深かった。
柳瀬 その流れで今すごく合点がいったんですが、Y町って完璧に架空の場所ですよね。作中で源や弟子の徹平がよく水路を利用していますが、東京の下町にこんなに水路があって、しかも現役で使われているところって……。
三浦 ないですね。鐘ヶ淵あたりから三角州になって広がっている地帯のどこかがY町、という一応漠然とした設定はありますが、実際そんな水路の町はありません。
柳瀬 そこが今回いい意味で、SFっぽい雰囲気になってますよね(笑)。しかも、この地域であえてスカイツリーの「ス」の字も出さないという。
三浦 それもねえ……さすが柳瀬さん。実は、むちゃくちゃ迷ったんですよ。というのは、連載開始が2007年だったんですけど、私、テレビが家になかったので、スカイツリーの「ス」の字も知らなくて。
柳瀬 そうだったんですか(笑)。
三浦 新しい電波塔ができるらしい的なことは聞こえてきましたけど、2050年くらいのことかな、くらいに思ってたんです(笑)。東京タワーより高いとか、地元の盛り上がりとか、全然わかってなかった。
柳瀬 2007年じゃ、まだ名前も決まってないころですからね。
三浦 なので、まったく意識せずに書き始めて。『政と源』は雑誌『Cobalt』に飛び飛びで連載させていただいていたのですが、1作目を発表してから最終話まで6年近くかかって、本が出るより先にスカイツリーが完成しちゃった。あれ? スカイツリーより、『政と源』のほうが時間かかってる、という……。
柳瀬 それはおもしろい。巨大ゼネコンがタワーをつくるよりも時間をかけて書かれた小説とは(笑)。スカイツリーがない効果も相まって、この小説はパラレルワールドっぽさがありますよね。
三浦 期せずして(笑)。
三浦しをん=クリント・イーストウッド説!?
柳瀬 僕は、この小説は三浦しをん作品の集大成だと思っています。それは、三浦さんの小説に通じる大きなテーマが二つ入ってるから。
三浦 何ですか?
柳瀬 一つは、家族の解体と擬似家族の再生。もう一つが次世代への仕事の継承。妻に先立たれた源二郎と、定年後、妻に家を出て行かれた国政の二人が、源二郎の弟子・徹平の結婚のために奔走する。
三浦 そう言われてみれば、そうですね。
柳瀬 それで、この二つのテーマを取り上げている人をいろいろ考えていたら、全然別のジャンルに見つけました。それは、クリント・イーストウッドです。
三浦 えっ、まじで言ってるんですか(笑)。
柳瀬 三浦さんの小説は、クリント・イーストウッドが監督した映画にすごく似ている。
三浦 ちょっと、それは褒めすぎですね……(笑)。
柳瀬 いやいや、『グラン・トリノ』や『ミリオンダラー・ベイビー』と、実はすごく通じるものがありますよ。空気感や描いているコンセプトの部分で。不器用なじじいが家族を解体して再生するとかね。
三浦 あんな大傑作と比べられるのはおそれおおいです。
柳瀬 影響などではなくたまたまだと思うんですけど、三浦さんとイーストウッドが描いてきたことが、自分の中ではがちっとつながった。
三浦 そうだとしたら、すごくうれしいですが。私もイーストウッド大好きなので。
柳瀬 この『政と源』は、三浦さんがいろいろな小説で個別に書いていたテーマがぎゅっと入ってるんです。その辺は意識されてたんですか?
三浦 いや、ぜんっぜん。何しろ大雑把なもので……。でも、たしかに『政と源』の1話は『まほろ駅前多田便利軒』の次くらいに書き始めていて、『仏果を得ず』や『神去なあなあ日常』、『舟を編む』なんかも、『政と源』を連載している間や前後で書いているんですよね。男二人の組み合わせは「まほろ」シリーズと一緒だし、「擬似家族」感っていうのは前から書いていた。そして、そのころ他作品でよく扱っていた「技術の継承」というテーマもつっこもうと思ったんでしょう。そうしているうちに、他は連載が終わって本になっていったけど、「政と源」シリーズだけは細く長く続いて、自分でも何を書こうとしていたのか、よくわからなくなったのでは(笑)。
柳瀬 ははははは(笑)。
三浦 意図みたいなものを超えた部分で、自分がすごく好きな世界や好きな流れにもっていくしかなくなったんでしょうね。そうしたら、なんとなく「すべてがそこにある」という一冊ができあがったのだと思います。
自分が見ていて前向きになれるものを描く
柳瀬 三浦さんって、たとえば林業のことを書いた「
三浦 はい、現代っ子なんで(笑)。私、「伝統に回帰せよ」みたいな思想はちょっと危険な部分もあると思ってるんですよ。それは、変なナショナリズムとかにつながりがちだから。そもそも極論を言えば、「伝統」なんてものはないんじゃないかなと。常に「今」を生きている人間が、何らかの行いをしているだけ。それを受け継ごうという人が出現しつづけていることがすごいのであって、昔のものがそっくりそのままの形で今も実現されていると考えるのは、実態とは違うような気がしますね。
柳瀬 でも、三浦さんの取り上げるテーマは伝統的なものが多いので、三浦さんが懐古主義の人だと思う人もいるんじゃないですか?
三浦 私は、小説の解釈のしかたには、いろいろあって当然だと思っています。どうお読みになろうと、それは読者の自由なので、「懐古主義なんですね」と言われれば、「そう……かもですね」とお答えするしかない。
柳瀬 なるほど。
三浦 私自身としては、湿っぽく伝統礼賛するようなことはしていないつもりですが。かといって、古いものを簡単に捨てたり、バカにしたりしていいかというと、もちろんそうではない。だから、古いものが少しずつ形を変えながらも今に伝わっている、その「今」の魅力をそのまま書けていればいいなと思っています。
柳瀬 それって、小説の話だけじゃなくて、普通の仕事や社会の中でも重要な視点ですよね。続いてきたものをちゃんと評価して、歴史をすくい取り、懐古じゃなくて未来に向けて見るという視点。三浦さんは、『風が強く吹いている』で取り上げた駅伝のほか、林業、辞書編集、まさに伝統芸能である文楽、そして今回のつまみ簪の話でも、未来へ向かう人間にバトンタッチする物語を書かれていますよね。そういう目線はどこから生まれてくるのでしょうか?
三浦 わからないですねえ……前向きになりたいのかな(笑)。
柳瀬 前向き?
三浦 うーん……私は何に対しても、あまり積極的になれず、やる気が出てこないんですよ。そういう自分を鼓舞したいという気持ちがあるのかもしれません。すべてに投げやりにならず、希望ややる気をかきたてるもの、愛するに足るものがこの世には当然ある……と思ってるんですけど、今のところマンガくらいしか見つけられず(笑)。かといって、「みんなで団結してがんばろう!」みたいな、そういう体育会系のノリも大っ嫌いなんです。
柳瀬 (笑)。
三浦 本当に苦手なんです。あれが私の人生のやる気をそいできた、とも言えるくらい。じゃあ、私はどういう姿を見て、ちょっと前向きになったり、くすって笑っちゃったり、ほのかな希望を持ったりできるかなってことを……たぶん考えるでもなく考えて、憧れの表現として書いているんだと思います。
柳瀬 それは三浦さんにないものだから、小説として生まれてくる。
三浦 自分は手先が器用じゃないから源みたいなつまみ簪はどうがんばっても作れそうにないし、政みたいに毎朝銀行に通勤して定年まで勤めあげることもできそうにない。自分では味わえそうもない人の生き方、「こうあってみたいものだ」という姿を書いているんでしょうね。
(中編は9月4日(水)更新予定)