数年前、自分の健康診断の項目に胃の内視鏡が追加されました。加齢を客観的に実感させられる出来事です。胃の内視鏡というのは、いわゆる胃カメラです。僕は精神科医なので、内視鏡検査の技術は持ち合わせていませんが、診察室でお話する患者さんから「内科で胃カメラを飲んできたけどすごく辛かった」とよく聞くし、飲み屋で会う先輩方が「胃カメラなんてもう一生やりたくない」と言いながら、健診でその必要性を指摘されて肩を落としている場面に何度か遭遇したこともあります。
もちろん、検査の必要性は十分に理解しています。でも、言葉での理解と湧いてくる不安は別で、日が近づくにつれてゆううつになるのは止められません。検査経験者に何がどう辛いのか聞いてみても、「いやぁ俺は口からだったから辛かったよ」とか「今度やるときは眠らせてもらおうと思っているよ」とか、検査の全貌はベールに包まれたまま辛さだけが連想される感想ばかりで、余計に恐怖心を煽られます。もしかしたら、実際に何が行われるか語れないほど恐ろしい検査なのではないか……。
周りへのインタビューの結果得られたのは、口からより鼻からの方が苦しくないらしい、ということだけだったので、鼻からの手技(しゅぎ)をお願いしました。
着々と時は迫り当日、ついに自分の順番。
検査室に入ると、なぜか消化器内科の先生ではなく内分泌内科の先生が検査の準備をしています。胃も大腸も消化器なわけですから、内視鏡検査は内科の中でも、当然消化器内科の専門分野です。内分泌内科は、糖尿病や甲状腺疾患などを専門分野としています。
それなのに、なぜ内分泌内科の先生が内視鏡検査をしようとしているんだろう。検査が行われたのが自分の勤務する病院だったので、その先生が何科の先生かわかるわけです。え、も、もしかして、練習? 内分泌内科の先生が内視鏡検査をすること自体は違法でもなんでもないので、身内である職員が対象の検査であれば練習の可能性もあるかもしれません。でも、「まさか、練習すか?」なんて聞くわけにもいきません。あっという間にまな板の上の鯉、検査ベッドの上の概念、という状態に。検査ベッドの上の概念。いきなり形而上学的な雰囲気になる自分の名前、どうなんだろうかと、こういうことを書いた時に思います。
ベテランナースの手当て
検査開始。鼻からならそんなに辛くはない説を信じていた僕ですが、いきなり鼻がすごく痛い。それでも先生は何度もチャレンジ。ついに鼻血が出てきました。のっけから流血騒ぎの検査なんて、ろくな結末にたどり着かないに決まってる。でも、先生も看護師さんも「大丈夫ですよ」と繰り返しています。
鼻血出てるのに本当に大丈夫なのだろうかと疑問が膨らんできたところで、「左の鼻腔が狭いみたいです。右でやりますね」と声をかけられました。これ、鼻血が出る前にわかったことだろう、と後から思いましたが、流血しているその時は余裕がありません。とにかくなるべく早く無事に検査が終わって欲しい。
右の鼻に変えたら、先ほどより少しは痛みなく、なんとか管が入って行きました。でも、管が胃に到達するまでなんとも言えない違和感で、えずきそうになるのを必死で我慢。
いよいよ管が胃の中に到達してカメラで胃壁をみていきます。胃はしぼんでいるので、適宜空気を入れながら検査は進みます。この過程でも僕はものすごく苦しみました。
今度はどんどん腹が痛くなってきて、明らかに苦悶の表情を浮かべていたのでしょう。看護師さんが「大丈夫ですよ」「もうすぐですよ」と声をかけてくれますが、辛すぎて全然響きません。
もうダメだ、腹が爆発しそう。いつ終わるの? もしかして終わらないの?
考えれば考えるほど辛さで余裕がなくなり、絶望的な気分になっていきます。 よっぽど辛そうに見えたのかもしれません。通りがかったベテラン感のある看護師さんが近づいてきて、背中をさすってくれました。そんなさすられても、痛いのは胃の中だし意味ないよ、とはじめは思いました。でも、なぜだかだんだん気持ちが落ち着いていきます。痛みはもちろんありますが、さっきほどではないような気もしてきました。
きっと痛さだけではなく、初めての検査で先が見えない不安とか、途中でやめられない恐怖とか、心理的要素も大きかったのだと思います。かなり混乱していたのでしょう。それが、ベテランナースの、まさに「手当て」によって落ち着いたというわけです。
心身は相関していますね。「大丈夫ですよ」という声かけも大事かもしれないけど、身体的でノンバーバルなアプローチは、思った以上に安心感を与えるということを体感した出来事でした。
検査後、そのベテランさんが「あの先生、また内視鏡やったんだ」と呟きながら検査室を出るのを、僕は聞き逃しませんでした。つまり、普段はやらない先生ということです。検査後しばらくげっぷが止まらず、トイレに行ったら、もしかしたらこのまま空を飛べるのではないかと思えるほどのガスが放出されました。これは僕の予想ですが、検査をした先生が僕の胃に空気を入れすぎていたのではないでしょうか。それで検査中は、腹が張りすぎている状態になっていたような気がします。
その翌年の健康診断では、熟練した消化器内科の先生に検査してもらったのですが、必殺!背中さすりを要するほどの痛みも苦しさもありませんでした。二度目で検査の全貌が予想できたというのもあるかもしれませんが、検査者の技術も関係していたに違いありません。
「ファントム」と「からだ」
この胃内視鏡検査の一件で僕が気になったのは、「大丈夫ですよ」という言葉での気遣いは響かず、「手当て」という身体的な気遣いは響いたという点です。
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。