次の図は、人材育成コンサルティング会社・グローバリンクの大串亜由美代表取締役に聞いた、営業シーンで活用できる心理テクニックの一例をまとめたものだ。
心理テクニック関連の本は読んだことがないという井出さんだが、結果的に営業シーンで有効な技を多用していることがわかる。
大串さんは「心理学というと、相手を知ることばかりに腐心してしまいがちだが、一番重要なのは自分を知ること」と指摘する。
自分はどんな強みがあるのか、どんな仕事をしたいのか。自分にできること、できないことは何なのか。
ここを明確にしておかないと、できもしないことを「やります」と約束してお客の不評を買ったり、不得手なジャンルで勝負してしまって契約を取り損ねるという悪循環に陥ってしまう。
自分の軸を確立できたら、今度は相手を知ることだ。相手は何を重視しているだろうか。また、何が得意で、何が不得意だろうか。
例えば、普段から「チームワーク」が口癖の上司がいるとする。何か仕事の提案をするとき、単に自分のアイデアを話すより、「日頃から課長が重視なさっているチームワークを意識してアイデアを考えてみました」と一言添えれば、喜ばれ方は格段に違うはずだ。
また、社長相手に現場の販売員が日本経済について話しても話は盛り上がらないだろうが、「お客様から最近、こういったご要望をよく聞きます」といった具合に、現場の生の声を話せば、興味を持って聞き入ってくれるかもしれない。
信頼関係の構築に
“イエス”は魔法の言葉
図1‐1に挙げた三つの心理テクニックのうち、返報性と希少性は多くの人が意識的、無意識的にかかわらず営業シーンでよく使う技法だろう。
信頼関係の構築に大きく役立つのは「イエスセット」である。手法自体は単純だ。図にあるように、「はい」と答えられる質問をいくつか繰り返すだけ。相手の心理的抵抗を取り除くのに有効な技だ。
また、お客に購入を決意させる最終段階の場面では、「はい」と答えやすい質問を3回くらい積み重ねて相手の心理的抵抗を取り除いてから、購入意思を尋ねる本命の質問を繰り出せば、「はい」と答えてもらいやすくなる。
通常の営業マンは、ここまでに挙げたような、さわやかな心理テクニックの活用にとどめておくべきだが、技をオーバーなほどに活用し、大金を稼いでいる人たちもいる。
新宿・歌舞伎町。ホストクラブ「CLUB ALL BLACK」代表取締役の神谷ナスカさん(29歳)は、今は経営側に回ったものの、つい最近まで同店を含む「AIR GROUP」8店舗のホスト300人の頂点に立っていたナンバーワンホストだ。
当時の年収は約4000万円。女性からのプレゼントが高級外車だったという伝説も持っている。

歌舞伎町内の雑居ビルにある店内は、ボトル100万円を超える高級酒がずらりと並ぶ。料金は初回こそ5000円だが、2回目以降は担当ホストが付き、テーブルチャージだけで2万円。客単価は平均で5万~6万円だ。
最初は入店しやすいよう低価格に設定し、そこで親しくなって次の来店を約束してもらい、さらにボトルを入れてもらう。
これは、人間は一度要求を受け入れると次の要求が断りにくくなるという「フット・イン・ザ・ドア・テクニック」(第2回記事/図1‐2参照)という心理法則を活用するものだ。
神谷さんは「ホストがイケメンである必要はまったくない」と断言する。求められるのは「場の空気や、女性心理を正確に読む力」。ただし、女性に気は使うが、決して媚びない。女性の貯金額を聞き出したり、大金を使わせるためにも「自分が女性の上位に立たなければならない」からだ。
ゲーム感覚や集団意識の盛り上がりによる高揚感など、カネを使わせる仕組みもたくさんある。有名な「シャンパンコール」や、担当ホストがその日の売り上げナンバーワンになったときにだけ許される「ラストソング(担当ホストによるカラオケ)」などがそれだ。
また、ホストには売上順位を示す「ナンバー」や、「主任」「支配人」といった無数の肩書きが用意されている。売り上げが増えるとどんどん出世していく仕組みとなっているのだ。
「ロールプレイングゲームで、時間と労力をつぎ込んでキャラクターのレベルを上げれば愛着が湧くし、さらに上を目指したくなりますよね。あの心理と同じです」(神谷さん)
プライベートでは引っ込み思案な性格という神谷さん。「仕事に入った瞬間に源氏名のスイッチをきちんと押せるかどうかが、一流ホストへの分かれ道。恥を捨て、俳優のように神谷ナスカを演じています」。
万人受けはしないが、割り切って心理テクニックを使えば、こんな世界もつくり出すことができるということだ。
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