文章についての古くからの格言に、「語るより見せろ」というものがある。これは実際なにを意味するのだろう? それはたとえば、怒り(あるいは誠意、真実、憎しみ、愛、悲しみ、人生、正義といった深刻な言葉)について語るのではなく、自分を怒らせたものを具体的に示せということだ。具体的に示されていれば、読む人にも怒りが伝わってくる。読者になにを感じるべきか命令してはいけない。自分を怒らせた状況を示すなら、同じ感情が読者の中に湧きあがってくるはずだ。
ものを書くことは心理学ではない。作家は感情について語らない。そのかわり、自分で感じたことを、言葉をとおして読者の中によみがえらせる。作家は読者の手を引いて、悲しみと喜びの峡谷を、それに直接言及することなく案内するのだ。
誰かの出産に立ち会ったなら、あなたは涙ぐんだり歌ったりしている自分に気づくかもしれない。自分がそこで見たことを描写しよう——母親になった人の表情、赤ちゃんが苦労してやっとこの世界に飛び出てくるときのエネルギー、ご主人が奥さんの額に濡れタオルをあてて一緒に呼吸しているようす……。わざわざ生命の本質について議論しなくても、その描写を読んだ人は生命のなんたるかを理解することだろう。
ものを書く際には、自分の感覚や書いている対象との直接的なつながりを保つことがたいせつだ。あなたが第一の思考にもとづいて書いているなら——すなわち、なにかに触れて最初に心にひらめいたことを、第二、第三の思考がしゃしゃり出て、意見したり、非難したり、評価する前に書いているなら——心配する必要はない。第一の思考とは経験自体が心に映ったものであり、人間が言葉によって日没や出産やヘアピンやクロッカスに近づける限界なのだ。つねに第一の思考と一緒にいることはできないが、それがなんであるかは知っておいたほうがいい。それを知っていれば、エゴを脇にどけて言葉を鏡のように使う方法がわかるからだ。
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