一故人

​2019年、追悼の本棚—橋本治から、田辺聖子、安部譲二、瀧本哲史まで

池内紀、ウォーラーステイン、梅原猛、緒方貞子、加藤典洋、竹村健一、長谷川慶太郎、眉村卓……2019年に多くの書き手が世を去りました。今回は、その著作にも触れながら、故人の足跡をたどっていきます。

2019年も多くの著名人が亡くなったが、とりわけ作家や評論家など書き手の訃報が目立った。ここでは故人たちをそれぞれの著作とともに振り返ってみたい。

作家の橋本治(1/29・70歳。以下、日付は命日、年齢は享年を示す)は、小説、評論、古典の現代語訳など多岐にわたって膨大な著書を残した。その1冊『大不況には本を読む』(2009年)は、何事も根源的に問わずにはいられなかった橋本ならではの読書論である。そこで彼は、《「本を読む」ということは、「書き手の言うことをそのまま受け入れて従う」ということではありません。「書かれていること」を読んで、「そこに書かれていないことを考える」というのが、「本を読む」です》と記している。そして本に「書かれていないこと」が存在する理由の一つは、《本の多くが「過去のこと」を語っていて、「それでどうなんだ?」という「現在から先のこと」を考えるのが読み手の担当だという、仕組みになっているからです》と説明した。

橋本に言わせると、1980年代に入って本が売れなくなった理由も、本が基本的に「過去」を扱っていることにある。オイルショックを克服して、再び「豊かさ」への道を歩き始めた日本人は、《「もう今までのことは分かりきっているから、いい」という状態に》陥った。《だから、その先に売れる本は「ビジネス書ばかり」ということにもなります。それは「金儲けが大事」でもあるのですが、本的なあり方からすれば、「これからはこうすればいい」という「未来への指針」—つまり「予言」が求められるようになったという「転換」なのです》というのだ。すでに第1次オイルショック(1973年)の直後には、『日本沈没』や『ノストラダムスの大予言』といった「未来」を扱った本がベストセラーになり、その後の流れを先取りしていたともいえる。

エコノミストの長谷川慶太郎(9/3・91歳)が論壇に登場したのも、オイルショックをめぐる発言によってだった。以来、長谷川は、市場経済と技術革新の動向から世界経済の分析を行ない、円高不況のさなかの1986年に刊行した著書『日本はこう変わる デフレ時代の開幕と経営戦略』ではデフレーション時代の到来を予測するなど、その著書は多くのビジネスマンに読まれた。

作家・評論家の堺屋太一(2/8・83歳)も、石油の輸入が途絶えて大混乱に陥る日本を予測した小説『油断!』(1975年)でデビューした。同作は彼が通産省(現・経済産業省)の官僚時代、石油の可採埋蔵量が減少しつつあるという外国雑誌の記事を読んで危機感を覚え、財界などから有志を募って行なったシミュレーションの結果にもとづき執筆された。ただし、ほぼ完成した直後に第1次オイルショックが起こり、いまこれを出版すれば世の中の混乱を助長するとの判断で、騒ぎが一段落ついてからの刊行になったという。

堺屋はその後も予測小説を発表し続けた。終戦直後に生まれた第1次ベビーブーム世代の未来を描いた『団塊の世代』(1976年)はベストセラーとなる。団塊の世代のひとりであった橋本治の《「書かれていること」を読んで、「そこに書かれていないことを考える」というのが、「本を読む」です》という言葉にしたがえば、同書をその予測が当たったかどうかという観点から読むのもありだろう。たとえば、1980年代に長期不況が訪れるとの予測は、バブルの到来で外れたが、1990年代に各企業で人員削減と経費削減が進められ、数の多い団塊の世代が狙い撃ちされたというくだりはかなり的中したようにも思える。あるいは、本書の出版当時、まだ20代だった当の団塊の世代がこの本の内容をどう受け止め、その後の針路に活かしたのかも検証されるべきではないか。

通産官僚時代の堺屋はまた、1970年の大阪万博開催のため奔走したことでも知られる。その準備期間中、カナダの英文学者・文明批評家であるマーシャル・マクルーハンが万国博覧会はすでに過去のものになったと主張したため、彼は敢然と反論したという。このマクルーハンのメディア論を1960年代に日本に紹介したのが、評論家の竹村健一(7/8・89歳)である。マクルーハン理論に関する竹村の著書は、テレビ関係者に歓迎されるなど広く読まれたが、専門家からは理論を誤解していると、激しい批判にもさらされた。当の竹村も、マクルーハンの文章は難解で、自分の本も彼の言葉を独自に解釈した「一種の創作みたいなもの」として読んでほしいと弁解している。その後、竹村は、自著『マクルーハンの世界』(1967年)で《テレビにおいては、出演者は役になりきるよりも、むしろ人間そのものの個性の発揮されるほうが望ましい》と書いたのを実践するように、パイプを片手に関西弁でざっくばらんに語るという個性あふれるスタイルを確立し、テレビで重宝された。

堺屋太一は亡くなる前月、2019年の年明けより『週刊東洋経済』で「堺屋太一の人類発明史」と題する新連載を開始していた。人類の誕生を起点に、完成すれば壮大なスケールの内容になったであろうこの連載は、第4回で休止となり、そのまま未完に終わった。哲学者の梅原猛(1/12・93歳)も晩年、洋の東西を超えた普遍的な「人類のための哲学」を構想した。ここから『人類哲学序説』(2013年)に続き、「本論」となる『人類の闇と光(仮題)』にも着手したが、絶筆となる。没後、『芸術新潮』2019年4月号に掲載された本論の第1章では、人類を「戦争をする動物」と定義したうえで、人類史を語ろうとしていた。

堺屋や梅原が晩年にいたって人類史に取り組もうとしていたのは興味深い。昨今盛んな「グローバルヒストリー」に呼応したかのようでもある。文化や交易、技術の広がりなど地球規模での相互な関連から人類や文明の歴史をみるグローバルヒストリーの研究からは、『銃・病原菌・鉄』や『サピエンス全史』といった世界的なヒット作も生まれた。グローバルヒストリーについては、アメリカの社会学者・歴史学者のイマニュエル・ウォーラーステイン(8/31・88歳)が提唱した「世界システム論」の影響も見逃せない。この理論は、欧米中心の資本主義経済を「近代世界システム」と呼び、16世紀以降、「中核」となる欧米諸国と世界各地の「周辺」地域がしだいに単一のシステムに組み込まれていく過程をとらえたものである。

ウォーラーステインによれば、近代世界システムにおける覇権国家は、オランダからイギリス、さらにはアメリカへと移行した。しかしアメリカの覇権も1960年代後半以降、衰退しつつあるとみなされている。1971年にはアメリカはドル防衛策として金・ドルの交換を停止(ドルショック)、世界の主要通貨は変動相場制へと移行した。さらに1985年には行きすぎたドル高是正のため、先進各国が為替市場に協調介入する旨の声明を出した(プラザ合意)。これら局面に、財務次官やFRB(連邦準備制度理事会)議長としてかかわったアメリカのセントラルバンカー・経済官僚のポール・ボルカー(12/8・92歳)は、日本の元財務官・行天豊雄との共著『富と興亡 円とドルの歴史』(1992年)で国際通貨交渉の生々しい内幕を証言している。

プラザ合意がなされた1985年、日本では、米自動車メーカーのクライスラー社長(当時)、リー・アイアコッカ(7/2・94歳)の自伝『アイアコッカ わが闘魂の経営』(原書は1984年刊)がベストセラーとなった。アイアコッカはライバル会社のフォードで社長を解任されたのち、クライスラーに迎えられ、倒産寸前だった同社の建て直しを図り、危機を回避する。このため日本でもその手腕が注目されていた。ちなみに1985年のベストセラーにはこのほか、『科学万博‐つくば'85 公式ガイドブック』や堺屋太一の歴史小説『豊臣秀長 ある補佐役の生涯』などがある。前者では表紙のイラストレーションと装丁を、イラストレーター・グラフィックデザイナーの和田誠(10/7・83歳)が手がけた。

前出の梅原猛は、1980年代半ばのこの時期、国際日本文化研究センター(日文研)設立のため、時の首相・中曽根康弘(11/29・101歳)に働きかけるなど尽力した。こうした経緯もあり、日文研は当初、保守色の濃いナショナリズムを唱導する研究機関とみなされ、学界などからは批判も強かった。そのなかにあって日本文学研究者のドナルド・キーン(2/24・96歳)は準備段階より設立に支持を表明している。キーンは1987年の日文研設立時には教授として招聘された。日本における歴史人口学のパイオニアである速水融(12/4・90歳)も、1990~95年に日文研教授を務め、共同研究「近代化過程における人口と家族」を組織した。その成果報告では、人口学だけでなく、社会学、歴史人類学、歴史地理、経済史など各専門の研究者がそれぞれの方法や視点から論文を寄せ、人口史研究がさらなる発展を遂げる契機となった(成果報告は2002年に『近代移行期の人口と歴史』『近代移行期の家族と歴史』と題して公刊)。

ドナルド・キーンは、翻訳家としても古代から近現代まで多くの日本文学を海外に紹介した。友人でもあった三島由紀夫や安部公房が国際的な評価を受けたのも、彼の貢献によるところが大きい。他方、ラテンアメリカ文学者の鼓直(4/2・89歳)は、コロンビアのガルシア=マルケスやアルゼンチンのホルヘ・ルイス・ボルヘスなどの作品を多数翻訳し、日本にラテンアメリカ文学ブームを起こした。

ドイツ文学者でエッセイストの池内紀(8/30・79歳)も、ゲーテやカフカの作品を新たに訳し、日本の読者の関心を惹いた。池内はこのほか、ドイツ・オーストリアの世紀末文化の研究から、紀行や温泉にまつわるエッセイにいたるまで幅広く執筆した。元号が「令和」へ改まったあとには、出典となった『万葉集』について自身のゆかりの土地とのかかわりからつづるなど(「自伝的万葉の旅」、中西進編著『万葉集の詩性(ポエジー) 令和時代の心を読む』所収)、亡くなる直前まで筆が衰えることはなかった。

キーンは三島由紀夫が1970年に割腹自殺を遂げたあと、故人が死の直前に書き送った手紙を受け取っている。三島はまた、亡くなる前夜、行きつけのバーから安部直也という青年に電話をかけ、この店にキープしたボトルはみんな君にあげると伝えたという。安部は、三島の小説『複雑な彼』(1966年)の主人公である国際線ステュワード(客室乗務員)の青年のモデルだ。事実、彼は暴力団・安藤組に在籍しながら、刑の執行中、日本航空にステュワードとして勤務していた。その後、40代半ばで足を洗った彼は、1986年、刑務所暮らしの体験から小説『塀の中の懲りない面々』を上梓し、作家デビューする。このときペンネームを、『複雑な彼』の主人公から下の名前をとって安部譲二(9/2・82歳)とした。『塀の中の懲りない面々』は大いに売れ、その後も『塀の中のプレイ・ボール』『塀の外の男と女たち』など安部の本はあいついでベストセラーとなった。

2019年の最大のベストセラーは、前年に亡くなった俳優・樹木希林の『一切なりゆき 樹木希林のことば』だった。夫でロックミュージシャンの内田裕也(3/17・79歳)との関係を含め、樹木が生前に語った言葉を集めたものである。樹木とは映画『あん』(2015年)で共演し、彼女と同様に個性派俳優として親しまれた市原悦子(1/12・82歳)も、没後、生前の言葉をまとめた『いいことだけ考える 市原悦子のことば』(沢部ひとみ著)が刊行された。

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一故人

近藤正高

ライターの近藤正高さんが、鬼籍に入られた方を取り上げ、その業績、人柄、そして知られざるエピソードなどを綴る連載です。故人の足跡を知る一助として、じっくりお読みいただければ幸いです。

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コメント

ishisaka 2019年、追悼の本棚――橋本治から、田辺聖子、安部譲二、瀧本哲史まで|近藤正高 @donkou | 10ヶ月前 replyretweetfavorite

ib_pata 《2019年、追悼の本棚——橋本治から、田辺聖子、安部譲二、瀧本哲史まで》 素晴らしい! https://t.co/Xtergb0spP 10ヶ月前 replyretweetfavorite

Yutaka_Kasuga 主だった故人をひとつの原稿内で全員関連付づかせて綴る。いつもながら近藤正高さんの博識と技術、すごいなぁ→2019年、追悼の本棚――橋本治から、田辺聖子、安部譲二、瀧本哲史まで|近藤正高 @donkou | 10ヶ月前 replyretweetfavorite