嫌われる勇気

第五夜 vol.6 青年は驚く。「人生とは『連続する刹那』である!?」

哲人が青年に迫ったのは、「普通であることの勇気」を持つということ。凡庸な自分を受けいれられずに葛藤してきた青年は大いに衝撃を受けます。そんな青年に対して、人生は「点」の連続でしかなく人生設計など無意味だと宣言し、追い討ちを駆ける哲人。いよいよクライマックスを迎える2人の対話は、どのような決着を見せるのでしょうか。

 普通であることの勇気。なんと、なんと怖ろしい言葉だ。アドラーは、そしてこの哲学者は、わたしにそんな道を選択せよというのか。なんの変哲もない、その他大勢として生きていけというのか。もちろん、わたしは天才ではない。「普通」を選ぶしかないのかもしれない。凡庸なるわたしを受け入れ、凡庸なる日常に身を委ねるしかないのかもしれない。しかし、わたしは闘う。結果がどうなろうと、最後までこの男に反旗を翻そう。おそらくいま、われわれの議論は核心に迫りつつある。青年の鼓動は高鳴り、握りしめられた手には季節外れの汗が滲んでいた。

人生とは連続する刹那である

哲人 わかりました。あなたのいう高邁なる目標とは、ちょうど登山で山頂をめざすようなイメージなのでしょう。

青年 ええ、そうです。人は、わたしは、山の頂きをめざすのです!

哲人 しかし、もしも人生が山頂にたどり着くための登山だとしたら、人生の大半は「途上」になってしまいます。つまり、山を踏破したところから「ほんとうの人生」がはじまるのであって、そこに至るまでの道のりは「仮のわたし」による「仮の人生」なのだと。

青年 そうともいえるでしょう。いまのわたしは、まさに途上の人間です。

哲人 では、仮にあなたが山頂にたどり着けなかったとしたら、あなたの生はどうなるのでしょう? 事故や病気などでたどり着けないこともありますし、登山そのものが失敗に終わる可能性も十分にありえます。「途上」のまま、「仮のわたし」のまま、そして「仮の人生」のまま、人生が中断されてしまうわけです。いったい、その場合の生とはなんなのでしょうか?

青年 そ、それは自業自得ですよ! わたしに能力がなかった、山を登るだけの体力がなかった、運がなかった、実力不足だった、それだけの話です! ええ、その現実を受け入れる覚悟はできています!

哲人 アドラー心理学の立場は違います。人生を登山のように考えている人は、自らの生を「線」としてとらえています。この世に生を受けた瞬間からはじまった線が、大小さまざまなカーヴを描きながら頂点に達し、やがて死という終点を迎えるのだと。しかし、こうして人生を物語のようにとらえる発想は、フロイト的な原因論にもつながる考えであり、人生の大半を「途上」としてしまう考え方なのです。

青年 では、人生はどんな姿だとおっしゃるのです!?

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嫌われる勇気

岸見一郎 /古賀史健

「世界はどこまでもシンプルであり、人はいまこの瞬間から幸せになれる」――古都のはずれに、そんな持論を語る哲学者が住んでいました。人間関係に苦悩し、人生の意味に悩む「青年」は、到底納得することができず、その真意を確かめるべく哲学者(哲人...もっと読む

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コメント

ironspring https://t.co/0uefrTQUAJ 約4年前 replyretweetfavorite

RIME3726 静的な人生と、動的な人生、なるほど。そう言う考え方はなかったなあ…: 4年以上前 replyretweetfavorite

shingo612 あと6日で本が出る 4年以上前 replyretweetfavorite

fumiken 【嫌われる勇気】今回登場する「エネルゲイア的な人生」というキーワード。言葉の響きはむずかしいかもしれませんが、ぜひご一読ください。 4年以上前 replyretweetfavorite