いだてん』第47回「時間よ止まれ」〜聖火は消え、音楽が始まる(後編)

1964年10月10日。念願の東京オリンピック開会式当日。競技場で華やかな入場行進が行われているその頃、五りん(神木隆之介)は聖火リレー参加者として「ランナーズ」に加わっていた。しかし、その足取りは再び迷走し始める。同じ日、志ん生(ビートたけし)はテレビ寄席で『富久』を熱演していた。物語はどこへ向かっていくのか。そしてサゲはどうなるのか──。


父になるまで

 二ヶ月前、美津子が気を利かせて「五輪聖火リレー参加のお願い」のチラシを持ってやってきた。師匠をしくじってしまい、あちこち迷走したあげく、東京の土を掘っていたけれど(そういえば、この物語は、土を掘る穴から始まったのだった)、10月10日、やはり走ることにした五りんだった。いざ出てみると、聖火ランナーではなくランナーズだったけど、渡されたのはトーチではなく旗だったけど、火を見て走っているうちに、なんだかぐっときた。これはまるで「富久」だ。火事だ火事だ火事だい。「おい落語家、うるせえ」名前もろくに呼んでもらえないけど、旦那はきっと名前を呼んでくれる。

 聖火ランナーズの出番はあっという間に終わってしまったけど、もう火がついてしまった。近くの店にかけこんで、まずは景気づけに水を一杯、と思ったら水はないからヤキメシ食ってると、テレビに映る最終ランナー、そういえばこの店は国立競技場の裏だ、坂井くん登り始めました、こちらもハシゴをあがってはるか聖火台を眺めれば、ひとけも火の気もないのにぼうっと炎が立つ。「じゃんじゃんじゃーんと半鐘があがる」。午後の太陽に照らされて聖火台の火が燃えさかっている。これはもう久蔵になるしかない。水明亭の店主が差し出す選択肢は旗 or レンゲ、トーチに似ているのはどっちだ、レンゲ、火事だ火事だーい、レンゲかざして国立競技場前から青山一丁目へ、そこから赤坂へ出て、虎ノ門三丁目をまっすぐに、愛宕一丁目を右に曲がって愛宕下へ出まして、そこから「出世の階段」はあたかも聖火台への階段、86段、勾配40度、一歩一歩踏みしめてまいります、見上げれば東京タワーが聖火のように真っ赤に光っている、そのタワーまで駆け上がろうってぇ勢いでテレビ寄席の会場に駆けつければ、志ん生の富久はいままさに佳境に入ったところ、ダッダッダッダッパッパッパッパッ、ひづめの音に合わせて、立ち止まっていたこの脚が、履き慣れたこのぼろぼろ足袋が、ひとりでに動き出す、親父譲りのこの脚は誰の脚だ、語っているのは誰だ、旦那、なんだ、旦那…

 楽屋に戻った志ん生に、長の無沙汰を詫びを入れた五りんだが、間口から上がることができない。「どっからきたんだ?」と問う志ん生に「三軒町…あ、いや、国立競技場から」と答えれば「忘れねえできたんだな。よし、出入りを赦してやる」。今松に促されてようやく上がり、レンゲを左手に持ったまま、「『出入りは赦すぞ』そうくると思った」。これでようやく旦那と太鼓持ち、いや、師匠と弟子に戻った。と、師匠は自分のことを「志ん生」と切り出す。「『志ん生』の『富久』はどうだった?」

 それは父の葉書の一節だ。今こそ自分が父になりかわって、父が自分に、そして志ん生に伝えたかったことばを伝えるときだ。

 「絶品でした!」。

 さっと笑うビートたけしの顔に、「メリークリスマス、ミスター・ローレンス」が見えた気がした。

 そこへ浅草の知恵ちゃんからもうすぐ生まれると連絡が入る。本当に父親になっちまうのか。ラマーズ法とマラソン走法、どこか似ている。ヒッヒッフーかスッスッハッハッか、女か男か、生まれてみなくちゃわからないってやつで、帰りもレンゲを掲げたまま、何しろレンゲは聖火だから、それに何しろテレビだから、あっという間に浅草にたどりつき、田原町には懐かしの十二階、いや、十二階を模した仁丹塔が立っている。

 無事生まれた子供は女の子、寄席ではいつの間にか志ん朝に落ち着いた若き日の孝蔵が、五りんとリレーでオリンピック噺の続きを語る。マラソン競技といえば裸足のアベベ、そのアベベもいまや運動靴、残念ながら播磨屋の主人が作った足袋ではない。カメラは一台、ずっとぶっちぎりで一位のアベベを映すばかり、ところがアベベのゴールのあと、カメラに入ってきた二位の選手が円谷選手だったからテレビの前の人々は驚いた、そのカメラに入るときの「すっ」という森山未來の所作が楽しい。そしていよいよ女子バレーボール決勝、「最近はフグです」「うそです!」「お前ら、勝って嫁に行け!」その試合の決定的瞬間、映画『東京オリンピック』ではソビエトの選手のプレーをさっとストップさせるのだが、そのオリジナルの試みを、田畑菊枝が目を凝らす瞬間へと仕立てる心憎い演出。それにしてもなぜ田畑家に、ヨンベにウランダそして大河原やす子が招かれ、ともにテレビ観戦に興じているのか。公私ぐっちゃぐちゃではないか。

三人目

 そして閉会式。

 最後まで式典課の努力は続く。北ローデシアがまさに閉会式のタイミングでザンビアへと独立。プラカードも国旗も新しくしなければならない。その新国旗を式典課の吹浦忠正が当日ちゃんと用意していたというのは、吹浦さんご自身の著作によればなんと史実だという。「独立はザンビア時間の午前0時。日本では閉会式の日の午前7時。事前にイギリスを通じて国旗の情報を入手していた私は、まさにその時刻、代々木にあった選手村の宿舎に新しい旗を持って向かった」(吹浦忠正『オリンピック101の謎』新潮社)。そしていよいよ選手入場、というときに、すっかりお祭り気分になった選手たちは、並ぶどころか、叫ぶ者、肩を組んで抱き合う者、肩車をする者、すっかり国の区別もなくなって、カクさんの制止も振り切り、競技場にあふれるように入場し始める。これも吹浦さんの著書によれば、実は式典本部が「入口付近に樽酒を並べたり、国別の整列ロープを外したりして」混じり合うことを期待しての出来事だったという。

 いつのまにかあちこちでやりとりを交わし、格式張った行進を忘れ、思い思いに楽しむ選手たち。競技場に近いワシントン・ハイツを選手村にして、選手の生活を競技の興奮の冷めない距離に置いた田畑の判断は、やはり正しかった。みんながぐっちゃぐちゃに混ざり合ったフィールドをしみじみ眺めてから、スタジアムの陰、嘉納治五郎の柔道着を飾ってある場所へと降りていくと、突然声が響く。「田畑」。治五郎の声だ。

 「これが君が世界に見せたい日本かね?」

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今週の「いだてん」噺

細馬宏通

近現代を扱ったNHK大河ドラマとしては33年ぶりとなる「いだてん〜東京オリムピック噺〜」。伝説の朝ドラ「あまちゃん」と同じ制作チーム(脚本・宮藤官九郎、音楽・大友良英、演出・井上剛)が、今度は日本人初のオリンピック選手・金栗四三と、6...もっと読む

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コメント

otmovie20503 毎週、楽しく読ませていただきました。ありがとうございました。 『いだてん』第47回「時間よ止まれ」〜聖火は消え、音楽が始まる(後編)| 3ヶ月前 replyretweetfavorite

okudayukari 読みながら思いだし、また涙が出る。→ https://t.co/hPgpd163bm 4ヶ月前 replyretweetfavorite

sofvot 6件のコメント https://t.co/YKxKFOxMjv 4ヶ月前 replyretweetfavorite

do_dling 細馬さんの連載、最終回をやっと読んだぞ。 4ヶ月前 replyretweetfavorite