嫌われる勇気

第五夜 vol.5 哲人は諫める。「普通であることの勇気を持て」

「幸福とは、貢献感である」、そうキッパリと言い放った哲人に対して、青年は「幸福とはそんなもののはずがない!」と憤ります。そこで哲人は子どもの非行行動を例に出し、「特別であること」に意味はあるのかと、青年に問います。青年と同じように、わたしたちは「特別」であろうとすることを求めますが、果たして本当にそれが必要なのでしょうか? あなたの考えに抜本的な革命が訪れるかもしれません。

 哲人の主張をまとめると、こういうことだった。人は「わたしは誰かの役に立てている」と思えたときにだけ、自らの価値を実感することができる。しかしそこでの貢献は、目に見えるかたちでなくてもかまわない。誰かの役に立てているという主観的な感覚、つまり「貢献感」があればそれでいい。そして哲人はこう結論づける。すなわち、幸福とは「貢献感」のことなのだ、と。たしかに、それも真理の一面ではあるだろう。しかし、それだけが幸福なのか? わたしの望む幸福は、そんなものじゃない!

安直なる幸福の道を遮断せよ

青年 しかし、先生はまだわたしの質問にお答えになっていません。たしかにわたしは、他者貢献を通じて自分を好きになることができるのかもしれない。自分には価値があるのだ、自分は無価値な存在ではないのだ、と思えるのかもしれない。
 でも、それだけで人は幸福なのですか? この世に生を受けたからには、なにか後世に名を残すような大事業を成し遂げたり、わたしが「他の誰でもないわたし」であることを証明しないことには、ほんとうの幸福は得られないでしょう。
 先生はなんでも対人関係のなかに閉じこめてしまって、自己実現的な幸福についてなにも語ろうとされない! わたしにいわせれば、それは逃げです!

哲人 なるほど。よくわからないのですが、あなたの考える自己実現的な幸福とは、具体的にどういうものでしょうか?

青年 それは人それぞれですよ。社会的な成功を望む人もいるでしょうし、もっと個人的な目標、たとえば難病の特効薬を開発せんとする研究者もいれば、満足のいく作品を残そうとする芸術家もいるでしょう。

哲人 あなたの場合は?

青年 わたしはまだ、自分がなにを求めているのか、将来なにをやりたいのか、よくわかりません。でも、なにかをやらなきゃいけないことはわかっています。いつまでも大学図書館で働いているわけにもいかない。生涯をかけてめざすべき夢を見つけ、自己実現が達成できたときにこそ、わたしは真の幸福を実感するでしょう。
 実際、わたしの父は仕事に明け暮れてはいましたが、それが彼にとっての幸福だったのかどうかは、わたしにはわかりません。少なくともわたしの目には、仕事に追われる父が幸せには見えなかった。わたしはあのような生を送りたくないのです。

哲人 わかりました。このあたりについては、問題行動に走る子どもを例に考えるとわかりやすいかもしれません。

青年 問題行動?

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嫌われる勇気

岸見一郎 /古賀史健

「世界はどこまでもシンプルであり、人はいまこの瞬間から幸せになれる」――古都のはずれに、そんな持論を語る哲学者が住んでいました。人間関係に苦悩し、人生の意味に悩む「青年」は、到底納得することができず、その真意を確かめるべく哲学者(哲人...もっと読む

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RIME3726 ”勉強であれスポーツであれ、なにかしらの結果を残すためには一定の努力が必要になります。ところが「特別に悪くあろう」とする子ども、すなわち問題行動に走る子どもたちは、そうした健全な努力を回避したまま他者の注目を集めようとしています” https://t.co/3tsTNJBGr1 4年以上前 replyretweetfavorite

RIME3726 普通である勇気ねえ…: 5年弱前 replyretweetfavorite

tommynovember7 普通は無能と同義ではない、という指摘はいくら強調してもしすぎにはならない。 5年弱前 replyretweetfavorite

fusen_umiushi この連載面白すぎる。 5年弱前 replyretweetfavorite