島についた。とある島である。宿をとっていない。島にいくことは元々決まっていたけど、飛行機だけ手配して宿のことをすっかり忘れていた。国内旅行だから大丈夫だろうと舐めていたら、どこもかしこも予約でいっぱいだ。浜辺で寝るには寒い季節である。
片っ端から電話をかけては断られる。別に連休でもシーズンでもない。僕は泳げない上、釣りもできないし、そもそも日光が苦手なので島の経験が乏しい。だから知らなかった。島というものはこんなに人気があるのか。
コールセンターみたくひたすらダイヤルを回し続けたその先に、ようやく一軒だけ空いている部屋が見つかった。値段も場所も確かめず、脊髄反射で予約をとる。これで凍死は免れた。
空港のタクシーに乗り込み、ベテランと思しき運転手に行き先を告げる。運転手は宿名をさっぱり知らない。そこで初めてGoogleマップで場所を確認してみると、空港や街中、観光スポットのいずれからも遠く離れた山中にその宿はあった。
「ここでいいんかね?」
Googleマップを見せると、運転手は眉間に皺を寄せた。宿はここしか空いてないのだから、はいと答えるしかない。こんなとこに道があったかなあとぼやきながら、運転手はアクセルを踏んだ。車が加速していくにつれて、僕の不安も膨らんでいく。そうしてもう一度Googleマップを眺めたところ、思わず息を飲んだ。
レビュー:1.9 ★★☆☆☆
最近のGoogleマップにはいろいろなスポットにレビューがついていて、割と信頼がおけると感じている。そのレビューが、5点満点でまさかの1.9点。そんな点数を見たのは初めてだ。疑問が頭を駆け巡る。システム的にありうるのか?いやシステムが許したとしても、倫理的にありえるのか?どんなに悪い経験をしたって、僕がレビューでつけるのはせいぜい2点だ。1.9ということは、最低点をつけた人々が少なからずいるということである。飲食店ならわからないでもないが、そんな宿が日本に存在しているのだろうか。
恐る恐るレビューの中身をのぞいてみると、そこには驚きの文言が並んでいた。
「旅行の楽しみを打ち砕く佇まいに恐怖」
「人生で一番ヒドイ宿でした」
戦慄する文章である。
読み進めていくうちのその内容はどんどんエスカレートしていって、
「危険地帯」
レビューというよりはもはや警告の域に達している。「危険地帯」という表現が使われた宿があっただろうか。宿とは本来、旅の疲れを癒し、危険から身を守るための場所なのに。
なぜここまで辛辣な意見が並んでいるのか?何が人をここまで恐怖させるのか?色々と理由はあるようだが、1つはとにかく虫が多いらしい。
「虫の死骸がついた布団と、虫が縦横無尽に駆け巡るこの世の果て」
実に詩的な文章である。地獄を描写する機会があったら引用したい。
「たまに管理人がものを取り出しに(部屋に)入ってくる」
こういう記述も見つかって、建物だけではなく管理人もただならぬ人物であることがわかる。
一通りのレビューを読み、さあ東京に引き返そうとしたところでタクシーが大きく揺れた。いつの間にか険しい山道に入り込んでいる。ドライバーは肩をいからせてどうにかハンドルをコントロールしようと必死だ。その形相に、ここで引き返してくださいとはどうしても言えない。そうこうしているうちに、車はこの世の果てへと進んでいったのである。
◇
生い茂った森の中に、突然白壁の建物がぬっと現れた。これが件の宿である。ボロボロの掘っ建て小屋みたいなのを想像していたが、少なくとも外観はそこまで荒れ果ててはいない。強いて言えば建物が4分の1茂みの中に沈んでいるくらいである。
タクシーの運転手は「頑張りな」と言い残して山道を駆け下りていった。もう後戻りはできない。
恐る恐る中に入ると、受付に40代くらいとおぼしき男性がいた。これが噂の管理人であろう。一見すると、勝手に部屋へ入ってくるような人物には見えない。いたって普通の宿の人という感じがする。管理人はこちらが身構えていることを知ってか知らずか、飄々とした様子で宿の設備を説明する。ロケーション以外、ここまではごく一般的な民宿である。これはますます部屋自体への期待が高まってくる。
しかし管理人に案内された部屋は、決して豪華とは言えないまでも、少なくとも清潔そうであった。部屋の設備も値段相応といったところで、この世の果てや危険地帯といったワードは似つかわしくない。7時になったら夕飯ですと告げて、そのまま管理人はいなくなった。
部屋に取り残された僕は、窓から外を眺める。山道をひたすら登ってきただけあって、なかなかの景色である。だが僕の心にはぽっかりと穴が空いたようで、素直にその眺めを楽しむことができない。
なんだろう。
不満はないんだけど、なんか拍子抜けである。
そうだ、布団。ここが伏魔殿かもしれない。深呼吸をして、思い切って布団を剥がしてみると虫は1匹もいない。僕は虫が苦手だが、あれだけレビューで脅された手前、ちょっとくらい出てくれてもいいのにと思う。
虫もいなければ、狂った管理人もいない。これでは話が違うではないか。ただ強いて言うならば、何かこの部屋全体に小さな違和感がある。それは間違い探しのようで、よくよく部屋を見渡してみると、おかしな点がいくつかあった。