信用と信頼はなにが違うのか
青年 しかし、その「肯定的なあきらめ」には、どこかペシミスティックな、悲観的な響きがありますね。こんなにも長いこと議論を重ねてきた結果、出てきた言葉が「あきらめ」だなんて、あまりに寂しすぎます。
哲人 そうでしょうか? あきらめという言葉には、元来「明らかに見る」という意味があります。物事の真理を見定めること、それが「あきらめ」なのです。悲観的でもなんでもないでしょう。
青年 真理を見定める……。
哲人 もちろん、肯定的なあきらめとしての自己受容ができたからといって、共同体感覚が得られるわけではない。それは事実です。「自己への執着」を「他者への関心」に切り替えていくとき、ぜったいに欠かすことができないのが第2のキーワード、「他者信頼」になります。
青年 他者信頼。つまり他者を信じること、ですか?
哲人 ここでは「信じる」という言葉を、信用と信頼とに区別して考えます。まず、信用とは条件つきの話なんですね。英語でいうところのクレジットです。たとえば銀行でお金を借りようとしたとき、なにかしらの担保が必要になる。銀行は、その担保の価値に対して「それではこれだけお貸ししましょう」と、貸し出し金額を算出する。「あなたが返済してくれるのなら貸す」「あなたが返済可能な分だけ貸す」という態度は、信頼しているのではありません。信用です。
青年 まあ、銀行の融資とはそういうものでしょう。
哲人 これに対して、対人関係の基礎は「信用」ではなく「信頼」によって成立しているのだ、と考えるのがアドラー心理学の立場になります。
青年 その場合の信頼とは?
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