向田邦子の柔和力
テンポはゆっくりで、親しみやすい。
漢字にしようか、ひらがなにしようか。文中、その割合をどれくらいにするべきなのか。
いや〜悩ましい問題。きのこの山の柄の部分から食べるか、チョコから食べるかくらい悩ましい。
うーん、別にどっちでもいいと言われそう。
いやいや、いやいや。1文1文にひらがなをどれくらい使うかって、大切な問題なんですよ。
プロも迷うらしいですから。 もちろんパソコンの変換にまかせれば、「できない」も「出来ない」って書けちゃうし、「おめでたい」ですら「お目出たい」って書けちゃう。
それは便利なことだけど、どちらが“より読みやすくなる”のか? パソコンは判断してくれません。
それは書き手の漢字の知識量ではなく、完全に「書き手の美的センス」にゆだねられている。
だから決してなにが正解とは言えないのですが、ひらがなの加減が絶妙で……読んでいるといつも目に心地いいなあ、と思う作家さんがいます。
向田邦子さんは脚本家なので、本業だったら漢字表記かひらがな表記かなんて関係ないはずです。
それなのに向田さんの文章は、ひらがなの混ぜ方がとても洗練されています。どういうことか、ためしに例文に漢字を増やして、すこしばかり“改悪”してみましょう。
今から考えればませていたとは言え、小学校五年の子供に夏目漱石がどれ程分かったのか疑問です。私も初めは、「お話」として読んだような気がします。鼻毛を抜いて並べる主人公苦沙弥先生や寒月君。私はワルの車屋の黒が贔屓でした。読んでいる間、私はこの本から、髭を生やした偉そうな夏目漱石先生から、一人前の大人扱いされていました。大人の言葉で、手加減しないで、世の中の事を話してもらっていました。たわいない兄弟喧嘩やおやつの大きい小さいで泣いたりすることが、馬鹿馬鹿しくなってきました。
元の例文の方が、話の緩急がついていて、読みやすいですよね。
しかも「ひいき」や「おとな」といったキーワードがすんなり頭に入ってきます。
ひらがなって漢字よりも「ゆっくり読ませる」ものなんです。
「大人」よりも「おとな」のほうが、テンポとして遅く読んじゃう感じがするでしょう。
反対に、 漢字のほうがするすると速く読むことができます。
だから漢字ばかりが続くと、かえって「引っかかりがなく読めて、頭に残りにくく」なるというデメリットもある。
たとえば学術論文で、ひらがなを多用することは稀です。だって学術論文は情報を正確に伝えるためのものだから。
しかし私たちの文章は、正確なだけでは困ります。読み手が目を止めて、内容を咀嚼してほしい。
そこで漢字で書けるところを、あえて「ひらがな」にする。そうすることで、その部分を少し遅いテンポで読んでもらえます。
では、どんな漢字をひらがなにすればいいのでしょう。
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。