ダイヤモンド」が伝えた渋沢栄一の実像(1) 1951年4月1日号より

伊藤忠兵衛(伊藤忠商事相談役)と渋沢秀雄(渋沢栄一の四男)の対談

“大変記憶力のいい人で、理解力もよかった。 だから、年を取っても、時代に遅れなかったんでしょうね”

渋沢栄一は1909年(明治42年)の古希(70歳)を機に、それまでに自らが立ち上げたり、設立・経営に関わった多くの企業・団体の役員から退いた。

一方、本誌「ダイヤモンド」が創刊したのは、13年(大正2年)。残念ながら本誌のバックナンバーを掘り起こしても、渋沢本人が現役の経営者として登場する記事は発見できなかった。さらに本誌創刊から3年後となる16年、喜寿(77歳)を迎えた渋沢は、思い入れの深さ故か最後まで務めていた第一銀行の頭取も辞し、実業界から完全に引退した。

もちろん実業界引退後も、各種の社会公共事業や国際親善に尽力している。「道徳経済合一説」すなわち利潤と道徳を調和させるという、経済人がなすべき道を示した『論語と算盤』を刊行したのは、実業界完全引退の年のことだ。31年(昭和6年)に没するまで、日本の多くの経営者に影響を与え続けた。

本誌には渋沢本人こそ登場しないが、渋沢から直接薫陶を受けた経営者が、その思い出を語る記事は幾つも見つかる。その一部を紹介していこう。

1951年4月1日号より
伊藤忠兵衛(伊藤忠商事相談役)と
渋沢秀雄(渋沢栄一の四男)の対談

「澁澤榮一の思い出」と題された対談。当時、伊藤忠兵衛(2代目、伊藤忠商事の創業者、初代伊藤忠兵衛の次男)は65歳、渋沢栄一の四男・渋沢秀雄は59歳。ちなみに紙幅の都合で割愛したが、対談冒頭は、渋沢が伊藤の黒々とした髪をうらやみ、その秘訣を聞くことから始まる。伊藤によれば「食事は朝晩の2回にして、風呂に入る前と上がるとき、下半身に水を30~40杯掛ける」のだという。

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週刊ダイヤモンド 2019年5/11号 [雑誌]

ダイヤモンド社,週刊ダイヤモンド編集部
ダイヤモンド社; 週刊版
2019-05-07

この連載について

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令和」の顔 渋沢栄一解剖

週刊ダイヤモンド

「令和」という新時代の幕開けとともに、紙幣の刷新が発表された。新たな1万円札の“顔”となるのは、渋沢栄一である。「日本の資本主義の父」と称される男は何を成し遂げたのか、解剖する。 ダイヤモンド編集部・大矢博之、深澤 献  ※『週刊ダイ...もっと読む

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