ハラスメントの境目に挑戦する人々
「最近、厳しくなってきたハラスメントの話」を始め、「なんでもかんでもセクハラ、パワハラになる。一体どこまでだったら許されるのか」との話を畳み掛けてくるのは、それなりに年を重ねた男性ばかりである。自分と同じ30代半ばの男性で「どこまでなら許されるのか」という争点を持ち出す人は、少なくとも自分の周りにはいない。「これもハラスメントになるので気をつけなければ!」と「どこまでだったら許されるのか!」は、同じボーダーラインを巡る議論だとしてもアプローチがまったく異なる。やがて、「言いたいことも言えないこんな世の中」と反町隆史的なボヤキを始めるのだが、どっちかっていうと、ポイズンは、こんな世の中ではなく、そんなオマエである。
「どこまでなら許されるのか」というギリギリのラインを探るうちに、「でもこれが福山雅治だったら許されるのに」という、頭を抱えたくなる飛躍を見せる確率は5割。その議論に乗っかって自分がもし福山雅治だったと仮定すると、真っ先にチャレンジすることはどう考えてもセクハラではないのだが、どうしてそんなにハラスメントを行使したがるのだろう。自分だって、「それはセクハラでしょ」と言われたことがないわけではない。反省をする。でも、彼らはなぜか再び立ち上がり、引き続きチャレンジする。境目はどこだと探る。「ここから先は入ることができません」という札の目の前で、「は? 去年来た時はもっと先まで入ることができたぜ!」とクレームを入れている。なぜ、人と対話するファーストステップがハラスメントの境目チャレンジなのだろう。あるいは、なぜまだそれを優先するのだろう。
「あいつも男なんだろ。さっさとやり返せばいいじゃねぇかよ」
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