使える哲学

21世紀の思想】いま世界の哲学者が考えていること

【混迷する新時代の知の最前線】
時代が転換するとき、科学技術が大きく進歩するとき、活発になる学問が哲学だ。混迷の度を深める21世紀、哲学はどうなっているのか。ポストモダンを乗り越えるその最前線を追う。


Photo:123RF

 新時代の哲学の動きを展望するには、ポストモダンが残した、正と負の遺産を知る必要がある。

 まずは、正の遺産から見てみよう。ポストモダンは、その「ポスト(後)・モダン(近代)」という言葉が示すように、「一つの時代(モダン)が終わる」というメッセージを強く打ち出した。

 ただし、この前提となる「モダン」がいつ始まり、その特徴は何か──には諸説があり、コンセンサスはない。しかし、今の時代が歴史的な転換点であることだけは、はっきりしている。それを明確に語ったことが、ポストモダンの重要な意義といえる。

 ところが、ポストモダンは「モダンの終わり」を主張するため、相対主義の立場を取った(「賢人たちの言葉講座 #4 現代(20世紀)」参照)。これが、ポストモダンの負の遺産だ。

 相対主義というのは、複数のものの見方や考えの中で、真理や道徳を判定する絶対的な基準が存在しないという立場だ。そのため、何が正しく何が間違いか、何が良く何が悪いか、決められない。ポストモダンは普遍的で統一的な真理を否定して、差異や分裂を後押ししたが、その結果として学問や社会に深刻な問題を引き起こした。多様な意見が乱立し、対立のみが強調されることになったのである。

 21世紀を迎えるころには、ポストモダンは「時代の転換」を主張しながら、差異や多様性ばかりを語り、時代は混迷の度を深めた。どうすれば、このポストモダンの袋小路から脱出できるのか? これこそが、新時代における哲学の課題になったのだ。

 この新時代の哲学がどのような考え方をしているかを知る前に、ポストモダンについて、もう少し広い視野から捉え直す必要がある。

 そのために「サングラス論」という思考実験から考えてみよう。例えば、茶色のサングラスを掛けてものを見れば、それは茶色に見えるだろう。同じく青色のサングラスで見れば、青く見える。だが、次のようなシーンであればどうだろうか。茶色のサングラスと青色のサングラスを掛けた2人が、同じものを見たときに、果たして同じように見えるのか、と。

 もちろん、同じようには見えないはずだ。つまり、異なる色のサングラスを掛けた人の間では、共通の見え方ができないということだ。ポストモダンの主張は、違った色のサングラスを掛けている人とは共通の見え方ができず、さらにはどちらの見え方が正しいのかも決められない、ということだ。

 実は、このサングラス論の考え方は、ポストモダンが最初というわけではない。近代哲学の完成者、カントは一般に「コペルニクス的転回」と呼ばれるスローガンによって、その考え方を明確に示した。コペルニクス的転回の前は、「認識は対象に従う」と考えられていたが、カントはそれをひっくり返して、「対象は認識に従う」と考えた。つまり、茶色のサングラス(認識)を掛けて見れば、もの(対象)は茶色に見えるということだ。

 カントの場合、人類全員に共通のサングラスとされたのは、人間が先天的に備えている概念やカテゴリー(性質・原因・結果のような、物事を分類するときの最も一般的な概念)である。そのため、人間であれば共通のカテゴリーを通して認識するのだから、人間の間で普遍的かつ統一的な認識が可能になると考えたのだ。

 このカントの考えを否定したポストモダンは、「サングラス相対主義」と呼ぶことができる。では、このサングラス相対主義を、新時代の哲学は、どのようにして乗り越えようとしているのか。

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ダイヤモンド社; 週刊版
2019-06-03

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「物事の本質は何か?」「人間とは何か?」「正しいとは何か?」──。そんな答えの見えない難問に、人は2500年にわたって挑んできた。この間、連綿と培われてきた哲人たちの洞察や思考スキルが、ビジネスや仕事に使えないはずがない。先の見えない...もっと読む

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