近代の終わり、「神も真理もあるものか」と喝破して、古代ギリシャ以来の哲学とキリスト教的な価値観を真っ向から否定したのが、ニーチェだ。
[ニーチェ]
ニヒリズムを乗り越える超人たれ
ニーチェが批判したのは、プラトン以来の哲学のメーンテーマ、真理(ものの本質)と現象(現実に人間に見えるもの)という二つのカテゴリーに分ける考え方そのものである。
『ツァラトゥストラ』の「神は死んだ」という一節は、神も真理もないという意味だ。もはや神のような絶対的権威から生きる意味や目的を与えられる時代は終わった。その先には、生きることの意味や目的を喪失する「ニヒリズム」が待ち受ける。外側(神)から目標が与えられないならば、内側(自分)でつくるしかない。
ニーチェは、何かのために生きるのではなく、生きることそれ自体から充足を得よ、と説く。それを実現する者が「超人」だ。現実の世界で、嫌なことや辛いことが起きれば、多くの人は「いま・ここ」の地上ではなく、理想の世界(イデアや神の国)があると考えて現実逃避するが、これをニーチェは否定する。代わって彼が提示するのは、辛くて苦しい「いま・ここ」が、永遠に何度も巡ってくる「永劫回帰」という概念だ。
それは耐え難い苦しみをもたらすが、それを受け入れて肯定しない限り、人生が救われることはないというマッチョな思想である。
日本では、ニーチェの言葉を自己啓発として読む人が多いが、彼の道徳論を知ると、いささか幻滅する人もいるのでないか。
ニーチェ以前の思想家のほとんどは、人は道徳的に生きるべきであることを自明のものと考えた。ところが、ニーチェは歴史的な考察に基づいて、道徳や倫理の土台には、強者に対する弱者が持つ恨み(ルサンチマン)が原動力として働いていると主張した。利他的な態度や弱者への配慮こそ善だと言っておいて、強者をその地位から引きずり下ろすのが、道徳や倫理の目的であり本質だというのだ。
ルサンチマンによる道徳は、人間が創造的に生きる力を削ぐ忌むべきものとニーチェの目には映った。彼によれば、民主主義も弱者を守るルサンチマンのシステムであり、キリスト教の代替物である。
これらニーチェの思想のうち、特に現代にもつながるという意味で重要な点は、次の二つだ。
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