古代ギリシャで花開いた哲学。だが、キリスト教の誕生と席巻により、哲学は神学の「はしため」の身に落とされた。後述のスコラ哲学において、哲学は神学に役立つ限りという条件の下、その存在が許されたのである。
2019年4月に大規模火災が起きた仏パリのノートルダム大聖堂は、中世のキリスト教会建築の代表的存在だった。Photo:123RF
[中世]
プラトンのイデアは「神の国」である
中世のヨーロッパでは、キリスト教がローマ帝国で国教に上り詰めたことで、その教義を学問的に系統立てるべく、神学が「知」を席巻する時代が長く続いた。
ローマ時代の末期には、プラトンの影響を受けたキリスト教最大の教父、アウグスティヌスが登場する。
アウグスティヌスは自身の教父哲学において、プラトンの二世界論のごとく、「神の国」と「地上の国」の間に大きな切断を設け、前者を真なる世界とした。
だが、アウグスティヌス没後およそ800年を経た13世紀になると、それまで流出していたアリストテレスの文献がイスラム圏を経由してヨーロッパに逆輸入され、アリストテレス研究を踏まえた神学が探究されるようになった。
その大成者と目されるのが、トマス・アクィナスである。
先述したアリストテレスの議論を神学に応用すると、神の被造物である人間は、神という目的に向かって進む存在として捉えることができる。そう考えれば、一見、相反するように思える理性と信仰も調和する。
「神の恩寵」によって、現実世界の人間も理性を持ち得るし、理性を用いて、神の啓示である真理の解明を目指すこともできる。アリストテレスを学んだアクィナスにとって、神の創造した地上の秩序を理性的に探究することは、神の神秘にあずかることだったのだ。
[デカルト]
人は生まれながらに理性を持っている
さらに14世紀から始まるルネサンス、16世紀の宗教改革を経て、西洋世界では近代的な個人の自覚が高まる時代になっていく。17世紀は、泥沼の宗教戦争の時代でもあったと同時に、地動説や近代科学を準備した科学革命の時代でもあった。そういった時代に、旧来の神学的な議論を批判し、近代科学を基礎づける新たな哲学が登場した。
『方法序説』を著したフランスのデカルトは、数学的な才能に恵まれており、哲学も数学のように確実な原理から出発する必要があると考えた。
デカルトは、絶対確実な真理を得るために、まずは徹底的に疑うという方法を取った。
「自分が今椅子に座って暖炉に当たっているということも、夢の中の出来事かもしれない」──。
そうやって、存在を疑えるものを全て削ぎ落していく。そして、最後に残った唯一の確実なものが、「考える私」だとデカルトは考える。なぜなら、椅子に座って暖炉に当たっているのが仮に夢だとしても、これは夢かもしれないと疑っている自分がいる、そのことだけは疑えないからだ。
これが最も有名な哲学者の言葉であろう「われ思う、故にわれあり(コギト・エルゴ・スム)」である。
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