漕げよマイケル
贅沢な45分だった。わずか一回で、意気消沈した田畑が復活していく1962年10月から1963年12月の一年余を描く。競技場の着工、音頭、首都高、聖火リレー、ポスター、招待状、各国の招致、大松の説得、ブルーインパルス、オリンピック開催に向けて新しいできごとが次々と押し寄せてくる。そのめくるめくできごとを一本のドラマにまとめあげた演出の一木正恵の手腕は驚くべきものだ。
要のひとつが、「東龍さん」こと東龍太郎の存在だった。
東は、気骨のある役の多い松重豊のイメージとは全く逆の、心配性で何かと受け身のキャラクターだ。学徒動員でひたすら「残念です!」を繰り返し、オリンピックを前に都知事にかつぎあげられたものの、騒動のたびにマーちゃんに泣きつき、川島に呼び出されてはその「寝技」に冷や汗を流してきた。
今回もまた、その東のイメージは変わらないように見えた。冒頭から、解任されようとする田畑の「東龍さん!」という呼びかけに、なすすべもなく頭を下げるばかり。その後、いったんは消沈した田畑が「裏組織委員会」で次第に調子づいてくるのとは対照的に、東はバー「ローズ」で一人、憔悴した様子でひっそり飲んでいる。そこに酔客たちが首都高建設に文句を言いながら入ってくる。東は思わず、東京都のマークの入ったヘルメットで顔を隠す。マリーは酔客からさりげなく遠ざかり、東に声をかける。
「田畑さん、お元気かしら?」 「俺は…」 「田畑さんが、おとなしくしてるってことは、うまくいってる証拠よ。なにかあったら、あの人、黙ってないもん。」 「東大ボート部出身なんですよ」
東には、マリーの声はきこえても、そのことばがきこえていないかのようだ。ひとりごとのように続けて言う。
「あのころは、水が澄んでて気持ちよかったなあ」
声は、都知事の重責から遠ざかるようにしみじみと、過去に遡る。「あのころ」と同じように東京を金栗四三が失敬失敬といいながら、走って行く。「…来年は、外国からお客さんが大勢来る…せめて、水だけは、なんとかしないとねえ…」水のイメージに乗り、東の心配は来る都知事選の当落ではなく、自分が知事となった場合に待ち受けているであろう困難の方へと漂っていく。
そして、東は知事に再選される。都知事室には、亀倉雄策のデザインしたオリンピックのポスターにはさまれて、「祝、東都知事再選」と墨字で記された布。しかし「祝」という言葉に似つかわしい晴れやかさはそこにはない。まるで首都高に覆われて明るい水面を失った日本橋のように、固いコンクリートで覆われた都庁の暗い一室にローイング・マシンが設えられている。水のない陸地でボートを漕ぐための器械。その取っ手を、東は一気に引く。
東の体が暗がりを切り裂く。
そしてすぐさま両腕を伸ばす。ローイング・マシンは、ゆっくりときしみながら戻っていく。その間も、東の姿勢は揺るぎない。きしみを聞き終えてから、またぎゅっと引く。
この、松重豊の切れ味鋭い動作によって、45分弱のつづらおりの物語に、くっきりと折り目がついた。気弱で心配性な東の芯に、意外な強さがある。その強さでオリンピック前の、水面を失っていく東京を漕いでいく。豪胆磊落に見えて持病の腰痛で苦しんでいた治五郎とは対照的だ(そういえば、元医師だった東は、治五郎の腰を診断したこともあった)。この強さなら、オリンピックを漕ぎ切るだろう。漕ぎ切るだろうが、東は孤独だ。これからは東の登場場面を見るたび、暗がりでローイング・マシンを漕ぐ姿を思い出すことになる。酒を携えて田畑家の玄関先でたたずんでいるときも、インドネシアの動向に気をもんでいるときも。
五りんの行方
五りんが行方不明になってしまった。
最終章に入り、五りんにとって、もはやオリンピックは噺の対象ではなく、現在進行形になった。森山未來演じる美濃部孝蔵が、時代に追い抜かれたあとも、ビートたけしと同一化するのではなく、真打ちに昇進したかのように語り手の座を獲得しているのとは対照的に、五りんの行動は迷走を始める。田畑の抜擢で広告塔としてあちこちのテレビ中継に映り込んだかと思えば、志ん生との二人会をすっぽかし「足袋に出ます」と書き置きを残し、三波春夫の弟子となって紅白歌合戦に出場する。
第42回に、印象的な場面があった。墓地の横の道で脳梗塞で倒れたあとの志ん生を背負っていく。春だというのに、志ん生の考えは夏を通り過ぎていく。「梅雨が来て、セミが鳴き出して、じきに秋が来る。紅葉の季節だ」。オリンピックが来るまでに、私は高座に上がれるかな。珍しく弱音を吐く志ん生を背負い直すと、五りんは、あたかも円喬を乗せて人力を引いていた若き志ん生のように、「富久」を語って聞かせる。そして、金栗四三に、「志ん生の『富久』は絶品」とサインをもらい、父小松勝のことばを介して、志ん生と四三を結びつける。季節が冬になっても、わたしたちにはまだ語ることがある。
金栗四三の金と嘉納治五郎の治で「金冶」という本名を持つ五りんは、三島弥彦からシマが学んだクラウチング・スタートをなぞるように走り出し、物語の隙間を見つけては、リクがミシンを踏むように登場人物の軌跡を縫い合わせていく。迷走に見えるこのところの彼の動きにも、何か人を結びつけていく作用があるのだろう。しかし彼の動きがドラマに何をもたらすのかは、まだ明らかではない。
いだてんの老い
それにしてもかつての「いだてん」はすっかり小さくなってしまった。小さな歩幅、おそらくは視力や視野の衰えと思い込みの強さからくるのであろう、周囲が見えていない感じ。主人公をかくもただのさえないジジイに描く大河ドラマがかつてあっただろうか。
表の組織委員会では彼が何者であるか誰1人気づかなかったが、裏を牛耳る田畑、松沢、大島のベテラン勢はすぐに思い当たる。「金栗四三!」。要領を得ないまま岩田が受け取った地図を、田畑が広げる。長らくドラマを見てきた者にはおなじみの、全国走破を成し遂げた日本地図。そこに記された道のりの長大さを一見して直観できるのは、ユーラシア大陸を横断した元タクシー運転手、森西だ。「1919年、日光東京間走破」「あ、あっちの古いな。1918年、九州一周」「あ、四国も!」。「北海道、樺太まで!」森西がいちいち声に出して読み取っていくところがいい。
「バーンと来た」田畑は、全国46都道府県、聖火をくまなく走らせるアイディアを思いつく。しかし、それだと何ヶ月かかるか分からない。すると、食事を用意していた次女が、まるで唐揚げを皿に取り分けるように言う。「火を分けたらどうかしら?」
「火を四つに分けます」。岩田は組織委員会で得意げに説明する。劇伴は、四三が長距離を走るときにたびたび鳴らされてきた「富久マラソン」。四つに分かれた聖火はドラゴンボールのごとくあちこちに飛び散って動き出す。表で岩田が裏日本を説明すれば、裏で田畑が表日本を説明する。交互に話すうちに、裏も表もぐっちゃぐちゃになる。 田畑が言う。「日本全国を」。岩田が言う。「足の踏み場もないほどに走り倒すじゃんね〜!」
気がつくと岩田は、かつて田畑を退席させた川島のいた壇上に飛び乗り、田畑の語尾を放っていた。上も下もぐっちゃぐちゃだ。「じゃんね〜!?」東が岩田を見上げて指弾する。もちろん東は、この案の向こうに田畑の存在を感じたに違いない。
***
聖火リレーのアイディアが金栗四三の地図から生まれたのだから、当然最終ランナーの栄誉は金栗に…と思ったら、マーちゃんはまるで気にかけない。「何言ってんの? 全国の若者がつなぐ聖火リレーだよ。「ありがとう」で終わりだよ、ジジイは。走るのは未来ある若者!」